「精密機械」北別府学さん、65歳で逝去 松田オーナーも絶句「若いよ」 投手王国・広島のエースが力尽く

[ 2023年6月17日 05:30 ]

北別府学氏
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 巨星が落ちた。広島のエースとして黄金期を築き、抜群の制球力で通算213勝を挙げた北別府学氏が16日、広島市内の病院で死去した。65歳だった。鹿児島県出身。20年1月に成人T細胞白血病(ATL)を公表し、同年5月に末梢血幹細胞移植を受けた。昨年6月には敗血症を発症するなどして闘病生活を送っていた。

 偉大なエースの早すぎる死に広島は街全体が深い悲しみに包まれた。北別府氏の訃報に接した松田元(はじめ)オーナーは「悪いとは聞いていたけど、今日聞いて驚いた。エースとして黄金期を支えてくれた。首脳陣は皆、彼ほど頼りになる投手はいないと言っていた。精神面でも投球術でも素晴らしい投手だった。若いよ…」と悼んだ。

 宮崎・都城農高から75ドラフト1位で広島入団。正確無比な制球力で「精密機械」の異名を取り、投手王国と呼ばれた広島の黄金期を大黒柱として支えた。3年目の78年から11年連続で2桁勝利をマーク、5度のリーグ優勝と3度の日本一に貢献した。

 18勝4敗、防御率2・43の成績を残した86年には最多勝、最優秀防御率など投手部門のタイトルを総なめ。最優秀選手(MVP)、2度目の沢村賞に輝いた。優勝を決めた同年10月12日のヤクルト戦(神宮)では先発で8回を零封。「9回は(抑えの)津田(恒実)が投げるべき」として胴上げ投手を譲り、2人で熱い抱擁を交わした逸話が残る。

 半面、5度出場した日本シリーズでは未勝利。11試合に登板、6試合に先発したが、最後まで勝ち星はつかめなかった。そんな中で200勝への分岐点があった。0―0の8回先頭で秋山に決勝弾を被弾した91年10月22日の西武との第3戦(広島)。「負けはしたけど、俺の中では200勝へのキッカケになった試合だった。変化球が多い投手でも内角球がいかに大事か。91年のあの試合で思い出した」と振り返った。

 91年までに190勝。89年に右肘を痛めてからはスライダー系で逃げる投球が増えていた。それが一転、西武戦では直球、シュートで打者の内懐を突き、全盛期の強力打線を抑えた投球が、翌92年の偉業につながった。通算213勝。2012年に野球殿堂入りを果たした。

 闘病の模様は、自身や妻の広美さんを通じてブログで発信し続けた。20年1月に成人T細胞白血病を公表。5月には次男をドナーとする骨髄移植を受け、21年春にはテレビ番組にコメンテーターとして復帰した。22年3月には尿毒症、6月には敗血症をそれぞれ発症。病魔に打ち勝とうと懸命に闘ってきた。

 ▽成人T細胞白血病(ATL) ウイルス感染が原因で異常細胞が増殖する疾患。77年に日本で初めて解明された。白血球の中のT細胞が感染し、がん化した細胞が無制限に増殖することで発症。感染しても95%が発症しないといわれる。潜伏期間は30年から50年のため、60歳以降の発症が多い。

 ◇北別府 学(きたべっぷ・まなぶ)1957年(昭32)7月12日生まれ、鹿児島県出身。宮崎・都城農から75年ドラフト1位で広島に入団。抜群の制球力を武器に78年から11年連続2桁勝利。92年7月16日の中日戦で球団初の200勝投手に。94年限りで引退し01~04年は広島投手コーチを務めた。通算515試合、213勝141敗5セーブ、防御率3・67。最多勝2度、最優秀防御率1度、沢村賞2度、86年セ・リーグMVP。12年に野球殿堂入り。右投げ右打ち。

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