杉下茂さん ライバル阪神での指導者時代は光と影 村山、バッキーら育てながらも「負ければ賊軍」

[ 2023年6月17日 06:45 ]

杉下茂さん逝去

1966年4月17日、巨人に勝ち村山実(左)を祝福する杉下茂監督
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 杉下氏が現役時代にライバルだった阪神で指導者としてユニホームを着たのは、当時監督の藤本定義氏に勧誘されたからだった。63年秋に帝京商業(現帝京大高)、中日でともに監督として師事した天知俊一に紹介され、投手コーチに就任。64年は解雇寸前だったジーン・バッキーを鍛え、29勝での沢村賞に導いた。肩書がヘッドコーチに変わった65年も村山実が最多勝と沢村賞、バッキーが18勝などチーム防御率2.47の好成績。同年10月の納会で監督昇格と藤本氏の総監督就任が発表された。

 監督として臨んだ66年は苦しんだ。就任時に野田誠三オーナーから「若手登用」「世代交代」を厳命され、初開催のドラフトで獲得した藤田平を登用したことにベテラン選手からは不満が漏れた。開幕から振るわず、特に球宴明けに失速。藤本氏の監督復帰が決まり、8月中旬の広島遠征中の宿舎で「休養」を通告された。玄関先で見送ったのは三宅秀史、村山実、若生智男の3人だけ。夜に東京の自宅に帰り「負ければ賊軍ですよ」と身を退いた。

 94年の西武を最後にユニホームを脱いだ後も臨時コーチなどで各球団を渡り歩き、阪神も訪問。春季キャンプでは藤川球児と「フォーク談議」に花を咲かせた。

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