母校に残る“堀島伝説” 恩師たちが振り返る銅メダリストの素顔

[ 2022年2月5日 22:11 ]

北京五輪第2日 モーグル男子決勝 ( 2022年2月5日    雲頂スノーパーク )

「K-air」場長の浜田聡さん
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 堀島行真(24=トヨタ自動車)が2度目の五輪挑戦で銅メダルを獲得した。少年時代から世界のトップになるまで、成長を見守ってきた3人の“恩師”たちが当時を振り返った。

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 (1)浜田聡さん(41)三重県桑名市のウォータージャンプ場「K―air」場長

 堀島が小4からK―airに通うようになったのは、ひょんなことがきっかけだ。モーグルの草大会で行われたお楽しみ抽選会で、姉・有紗さんが1カ月パスに当選。「お姉ちゃんはあまりやりたがらなかった」ものの、堀島は初日からバンジージャンプのノリでガンガン跳んだ。浜田さんの記憶によれば「初日でバックフリップができた。並みの人間ではできない。それで“凄い子がいる”とうわさになった」という。

 2年目からはシーズン券を買い、週末のたびに通ったという堀島。中学時代には2時間半で100本跳び、うれしそうに報告していたことが印象に残っているという。こうした人並み外れた練習量が、世界最高のエア技術につながった。公式戦にはエアの難度に制限があるが、すでに「縦2回転もできるし、反対回転もできる」という。将来的なルール変更への準備も万端だ。

 10年ほど前には、スキーヤーやスノーボーダーの間でけん玉ブームが到来。堀島もご多分に漏れず、練習の合間を縫って没頭していたという。その腕前も「やたらうまかった」。浜田さんは「膝や全身の動き、動体視力、集中力と、モーグルに通じるものもあったのでは」と振り返る。

 (2)沢田光宏さん(51)岐阜県スキー連盟フリースタイル部長

 出会いは堀島が小4の時。スキー場のモーグル体験会に来たが、当時はまだ「元気な男の子」という印象だったという。ところが小6でエアを見た時に「バックフリップが大人よりも大きくてびっくりした」という。金の卵を大事に育てなければならない。「県連の活動ではなかった」が、堀島ら将来が有望な選手数人に声を掛け、高山市の自宅近くにあるお寺を寝床として借りながら、“モーグル寺子屋”を始めた。

 練習場所は乗鞍岳の標高2700メートル付近に広がる雪渓。8月でも練習が可能な雪が残っており、中3までは夏休みの1カ月ほどは高山市を拠点に雪上練習をこなした。そこでも堀島は「他の子が1本滑る間に、3本は滑っていた」といい、黙々と練習をこなした。「量が半端じゃない。一番伸びたのが小6から中3の間の4年間ではないか」と懐かしむ。

 4年前の平昌五輪は沢田さんも現地観戦。。真面目で誠実な性格ゆえ、予選前日の公式練習後に最後まで会場に残り、応援に駆け付けた関係者にあいさつをして回っていた姿が印象に残っているという。「他の選手がいなくなっても、あいつはまだいた。もう帰ったいいぞと言ったんだけどね」。本番に負の影響をもたらしたかも知れないが、そんな一面も堀島の魅力かも知れない。

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 (3)大場順二さん(63)岐阜第一高スキー部コーチ

 アルペンスキーの強豪校だった岐阜第一高の見学会に堀島と両親が訪れたのが中3の夏休み。大場さん自身もアルペン選手であり、モーグルは畑違いだった。中2でジュニア五輪優勝を果たすなどの実績を残していたものの、「五輪が目標だと言った。実力も知らなかったので、最初はずいぶん夢が大きいなと思った」という。

 普段の練習は4時間に及ぶ。「スキー選手にどういうトレーニングをさせたらいいか、僕なりに勉強して」買い求めた各種マシンが学校のジムに備えられており、筋力強化や持久力を付けるためのラントレを毎日のように課した。加えて堀島は約15キロ離れた自宅から自転車通学。「お姉ちゃん(有紗さん)が言っていたが、毎日帰宅すると、そのまま寝てしまうと」。高2の全日本選手権で原大智に次ぐ2位。徐々に結果に結びついていった。

 同校のスキー部には現役部員にも伝わる「堀島伝説」がある。「真面目だけど、どちらかと言えばモジモジするタイプだった。世界に出るなら、あいさつはしっかりしろと指導した」と大場さん。なかなか改善されず、ある時カミナリを落とすと、校内の廊下で延々とあいさつの発声練習をさせたという。今では人前でのあいさつも慣れたもの。モーグルの技術は教えられなかったという大場さんだが、その教えはしっかりと根付いている。

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