宮城淳さんが死去 89歳 全米テニス男子複覇者

[ 2021年2月25日 20:53 ]

加茂公成選手(右)と肩を組む宮城淳選手=1954年10月
Photo By 共同

 テニスの1955年全米ダブルス選手権男子(現在の全米オープン男子ダブルス)で戦後の日本男子唯一の四大大会制覇を果たした宮城淳(みやぎ・あつし)さんが24日、東京都世田谷区の介護施設で死去した。89歳。東京都出身。ぼうこうがんを患っていた。葬儀・告別式は近く家族葬で行う。

 戦後の日本テニス界で姉黎子さんと一時代を築いた。競技を始めた早稲田大卒業後の55年、日本初開催の男子国別対抗戦、デビス杯(デ杯)東洋ゾーンで優勝に貢献した。同年、当時シングルスと別々だった全米ダブルスで加茂公成と組み、日本勢初制覇を達成した。日本男子の四大大会タイトルは34年ウィンブルドン選手権混合ダブルスの三木龍喜以来だった。

 全日本選手権はシングルス、ダブルスでともに4度、混合ダブルスで1度優勝。デ杯の日本代表は10度で、2度が監督兼任だった。早稲田大の監督、教授や日本テニス協会専務理事、日本オリンピック委員会(JOC)理事などを務めた。

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2021年2月25日のニュース