「僕は君を知らない」…反骨心を力にした折茂武彦 送られた労いの言葉「バスケと言えば…」

[ 2020年5月11日 12:45 ]

折茂武彦
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 「僕は、君を知らない――」。バスケットボールのBリーグ発足前年の2015年6月17日。都内で新リーグのヒアリング調査に出席していたレバンガ北海道の折茂武彦代表兼選手(49)は、当時リーグ改革を進めていたタスクフォースの川淵三郎チェアマン(83)に、初対面でそう告げられたという。それも、大勢の報道陣の前で。翌日、札幌市内で取材に対応した折茂の表情は、悔しさに満ちあふれていたのを今も覚えている。

 「メディアコントロールが上手い人なので、本当に知らなかったのかどうかは分からない」と、折茂は前置きした上で続けた。「『君は日本で一番得点を獲っていて、バスケ界では有名なのかもしれないけど、僕は君を知らない』と。ただ間違いなく、それが世間一般から見た僕の認知度であり、関心度だと思う。それが、今の日本のバスケット界の現状ですよ」。悔しさを押し殺しながら語った。

 いつも、反骨心が折茂の原動力となってきた。北海道に移籍したのが07年。当時リーグトップクラスの資金力を誇っていた実業団のトヨタ自動車(現A東京)から、新設したレラカムイ北海道(当時)に身を移した。周囲はほぼ全員が反対したというが、それを押し切ったのは“プロチーム”だったからだ。当時はリーグ内に実業団とプロが混在。さらに、1億5000万円のサラリーキャップ(年俸総額制限)が定められていた。

 「トップ選手が稼げない競技なんて、若い子が憧れないですよね? 野球やサッカー選手はいい服を着て、いい車に乗って、いい姉ちゃんを引き連れて六本木でガンガン飲んでいる訳ですよ。確かに日本でバスケットボールはマイナースポーツかもしれない。けど、負けたくなかった。バスケ選手だって同じように稼げるって証明したかった」。競技のメジャー化のため、リーグ最年長としてコートに立ち続けてきた。

 昨年10月。19―20年シーズン開幕を前に折茂は残り1シーズンでの引退を発表した。札幌市内で行われた引退会見では「責任を果たせた思いが一番強い」と語った。昨年にはBリーグから初の1億円プレーヤーが誕生。八村塁や渡辺雄太などNBAでプレーする選手が日本から生まれるなど、日本バスケットボール界が発展してきたことで、「子どもたちに夢や希望を与える選手が出てきた」。背負ってきた肩の重荷をようやく下ろした。

 27年目のラストシーズンは新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、3月途中でリーグ戦が打ち切られての幕引きとなった。バスケ界を問わず、様々な著名人から惜別の言葉が贈られる中、現在日本トップリーグ連携機構会長を務める川淵氏は今月5日、自身のツイッターを更新した。「折茂さん。長い間日本のバスケ界を牽引してくれてお疲れ様でした。代表のエースとして活躍していた時代、バスケと言えば折茂でした」と。(記者コラム・清藤 駿太)

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