舞の海、幕内初の三所攻め 「平成の牛若丸」「技のデパート」若貴とともにブームけん引

[ 2020年5月11日 06:18 ]

1992年9月25日、大相撲秋場所13日目。東前頭3枚目の琴富士(右)に三所攻めで快勝した同6枚目の舞の海
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 【Lega-scene あの名場面が、よみがえる。~大相撲編~】昭和、平成の名場面をスポニチ本紙秘蔵写真で振り返る「Lega―scene(レガシーン)」。大相撲編の最終回は1992年(平4)9月25日、東京・両国国技館で行われた秋場所13日目の一番。東前頭6枚目の舞の海が、同3枚目・琴富士を幕内では初めての決まり手となる奇手、三所(みところ)攻めで下し、ファンの大歓声を浴びました。

満員の館内に
聞き慣れない決まり手が
アナウンスされた。


三所攻め。


相撲協会が
1955年夏場所から決まり手を
発表するようになって以降
十両で出たことはあったが
幕内では舞の海が初めて決めた。

相手に足を掛け
手でもう一方の足をすくい
頭を胸につけて押す。
一度に3カ所を攻めることから
そう名付けられた。
舞の海は右手で
琴富士の左膝裏を抱え
頭を胸につけ
最後は左内掛けで押し倒した。
1メートル72、96キロの
幕内最小兵ながら
八艘(はっそう)跳びや
猫だましなどの奇抜な立ち合いで
巨漢ぞろいの幕内力士を翻ろうし
「平成の牛若丸」「技のデパート」
の異名を取った。
前年の91年九州場所では
身長差33センチ、
体重差103キロの曙を
三所攻めから崩して
最後は内掛けで破った。
当時の二子山理事長
(元横綱・初代若乃花)が
「今年一番の名勝負」と舌を巻く鮮やかな取り口だった。


舞の海は93年秋場所の
巴富士戦でも三所攻めを再現。
それから三所攻めが
決まり手に載ったのは
26年後のことだった。
19年九州場所で
石浦が錦木を倒す一番まで
実に四半世紀がたっていた。

 《小よく大を制す》舞の海は若貴兄弟とともに平成の大相撲ブームを盛り上げた立役者の一人。「小よく大を制す」取り口で人気を集めた。相手の琴富士は1メートル92、146キロの巨体だったが直前までの対戦成績は1勝1敗の五分。取組後は「(三所攻めの)意識はなかった。自然と出たものです。(この場所の)負け越しが決まって気楽に取れているのかもしれません」と振り返った。この白星は90年夏場所の幕下付け出しデビューから通算100勝目だった。

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2020年5月11日のニュース