64年東京五輪の飛び込み代表 金戸俊介&久美子夫妻、3世代五輪で悲願メダル獲得を

[ 2019年6月5日 09:00 ]

2020 THE YELL レジェンドの言葉

現役時代の写真を手に仲睦まじく写真に収まる金戸俊介さん、久美子さん夫妻(撮影・吉田 剛)
Photo By スポニチ

 64年東京五輪の飛び込み代表、金戸俊介さん(79)と久美子さん(83=旧姓渡辺)は大会後に結婚。一人息子の恵太(52)、幸(50=旧姓元渕)夫妻も3大会連続で五輪に出場し、孫の凜(15)は7月の世界選手権(韓国・光州)で12位以内に入れば来年の東京五輪代表に内定する。親子3世代での五輪出場を目指す飛び込み界のレジェンド、金戸一家のルーツを探った。

 「もちろん孫たちにも五輪に出てほしいですよ。ケガをしないように、そしていつかメダルを獲ってくれたら」。俊介さんも久美子さんも、息子夫婦も、あと一歩で五輪のメダルには手が届かなかった。金戸家の願いはそのまま日本飛び込み界の悲願でもある。

 2人が出会った頃、飛び込みはまだマイナー競技だった。俊介さんは石川県の金沢桜丘高入学と同時に始めたが、実は「本当にやりたかったのは体操だった」という。「体育館のマットの上で練習をしているクラブがありましてね。てっきり体操部だと思って入ったら、後になってダイビングだということが分かりました」

 東京出身の久美子さんは最初から飛び込み志望だったが、動機はと言えば「映画の中で見た白い水着に憧れた」から。「人さまの前で水着なんてとんでもない」という周囲の反対を押し切って白百合高で飛び込みを始めたものの、当時は浄水装置がなく、プールの中は藻が繁殖して濁ったまま。「水から上がると憧れの水着は緑色に変色していました。何しろプールの中でおたまじゃくしが泳いでいるんですから」

 勘違いで始めた飛び込みだったが、俊介さんは高3のインターハイで見事に優勝。東京の日大に進学した。高さ10メートルの飛び込み台は都内にも少なく、トップ選手は所属先にかかわらず一緒のプールで練習することが多かった。そこで知り合ったのが日体大4年の久美子さんだった。久美子さんはその後実業団のリッカーに就職。俊介さんが3年生の時の60年ローマ五輪には2人で代表に選ばれた。

 ところが「生まれて初めての海外で緊張した」という俊介さんは、「前宙返り3回半えび型」という高難度の技を五輪で初めて成功させたものの、台の上で逆立ちをした時に2秒間静止することができず、高飛び込みは10位、飛び板飛び込みも23位に終わった。久美子さんも高10位、板14位でメダルには手が届かなかった。

 久美子さんは当時24歳。選手としてのピークはすでに過ぎていたが、次が東京ということもあって現役続行を決意。やがて俊介さんも同じリッカーに入社し、互いに切磋琢磨(せっさたくま)しながら練習を続けた。当時は「数をこなして体で覚える」のが主流。久美子さんは「1日8時間、100本以上飛ばされてもう死にそうでした」と振り返る。しかも飛び込み台は階段ではなくはしごで10メートルの高さまで登らなくてはならず、疲労はたまる一方だった。

 そして迎えた東京五輪。戦う前から疲れ切っていた2人は思うような演技ができなかった。俊介さんは飛び板飛び込み予選の最終演技で踏み切りに失敗。前逆宙返りの途中で頭を板の端にぶつけてしまい、16針も縫う大ケガを負った。医師の制止を振り切って3日後の高飛び込みに強行出場したものの、「ずっと入院していたので足が萎えて動かず、逆立ちもできない」状態ではどうしようもなく、無念の11位に。目の前で俊介さんの大ケガを目撃した久美子さんは動揺したが、「私にできるのはプールでベストを尽くすこと」と気持ちを切り替えて板飛び込みの決勝に挑み、9位に入った。

 目標のメダルには手が届かなかったが、2人は大会後にそろって引退。2カ月後の64年12月に結婚した。67年には一人息子の恵太さんが生まれ、88年のソウルで親子2代での五輪出場が実現。俊介さんが日本代表のコーチを務めた92年バルセロナで愛息は見事に8位入賞を果たした。

 恵太さんは96年アトランタ五輪6位の幸さんと結婚し、3人の子供に恵まれた。孫が生まれると俊介さんたちは指導者から身を引き、孫をプールまで送り迎えするのが日課になった。

 親子3世代での五輪出場という夢に向かって孫たちも頑張り、次女の凜は7月の世界選手権で12位以内に入れば五輪代表に内定するところまで来た。

 「凜はまだ体ができていないから、ケガをしないように息子たちが上手にやってくれていますよ。私たちにできることは留守番ぐらいのものです。まだ日本の飛び込みは誰もメダルを獲ったことがないので、孫たちはもちろん、いつか誰かメダルを獲ってほしいと心から願っています」

 世界的にも珍しい親子3世代にわたる五輪出場、そして悲願のメダル獲得へ、金戸家の戦いはまだまだ続く。

 ≪モンローと同じ病院に≫久美子さんには今でも忘れられない思い出がある。米ロサンゼルスで強化合宿をしていた62年8月5日、練習中に他の選手と接触して大量出血。病院で26針も縫う大ケガを負った。ちょうどその時運び込まれたのが同じ日に自宅で遺体で発見されたマリリン・モンローだったという。「途中まで縫ったところで医師も看護師も誰もいなくなってしまい、一時はどうなることかと思いました。でも、今ではいい思い出ですけどね」

 ≪36年ベルリン大沢4位が最高≫日本の飛び込み競技は歴史が古く、男子は1928年のアムステルダム大会から、女子も32年のロサンゼルス大会からずっと五輪に選手を送り続けている。これまでの最高は男子が00年シドニーの寺内健で高飛び込み5位、女子は36年ベルリンの高飛び込みで大沢礼子が4位に入っている。ベルリンでは礼子の姉・政代も飛び板飛び込みで6位に入賞。同じ年に生まれた久美子さんにとって、礼子は「憧れの存在だった」という。

 ◆金戸 俊介(かねと・しゅんすけ)1940年(昭15)1月5日生まれ、石川県金沢市出身の79歳。金沢桜丘高3年の時にインターハイ優勝。日大からリッカーに入社し、60年ローマ五輪と64年東京五輪に出場。引退後も市立川口高教員、日大監督、日本代表コーチなどを歴任した。 

 ◆金戸 久美子(かねと・くみこ)1936年(昭11)5月10日生まれ、東京都渋谷区出身の83歳。白百合高から日体大を経てリッカーへ。58年に東京で開催されたアジア大会で優勝。60年ローマ五輪と64年東京五輪には日本代表として出場した。

続きを表示

「NBA」特集記事

「羽生結弦」特集記事

2019年6月5日のニュース