強さ、とは何か――堀江翔太の振る舞いに抱いた畏敬の念

[ 2019年4月5日 10:00 ]

取材に応じるHO堀江翔太
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 強さ、とは何か。

 その告白は突然だった。予想も、意図もせずに、質問をぶつけたに過ぎない。

 4日間、休めましたか?

 「そうですね。オヤジがちょっと、亡くなって、葬儀があったくらいです。まあ、そうっす」

 3月25日。沖縄県読谷村での合宿を打ち上げ、つかの間の休暇をはさみ、成田空港でのチェックインを終え、ベンチに座ってもらって取材していたドレッドヘアの男は、声のトーンを落とすことなく、淡々と語り始めた。人生で五指に入るであろう悲しい別れ。もちろん最愛の人を看取ったその時は、涙しただろう。少なくとも、まわりは悲嘆に暮れたに違いない。それが、たった4日前の出来事。その後、通夜も葬儀もこなし、一方で自身の復帰戦に向けて、ラグビー王国ニュージーランドへの遠征準備も整えなければならない。どんな葛藤、心のうごめきを抱えながら、前を向いていたのだろうか。

 2月初旬、東京都町田市のキヤノンスポーツパークでW杯日本代表候補が合宿を始動させたころ。ひとしきりラグビーの質問が途切れた後、フランクな質問をぶつけたことがある。

 そのデニム、オシャレですね。

 4月1日、NHK BS1で放送された「スポーツ×ヒューマン」の一場面でも映っていた、程よく着古された、味のあるブルーを発色するシャツ。

 「ああこれ、オヤジが若いころ、着ていたやつで」

 素敵。ステキ。率直にそう思った。そしてW杯3大会連続出場を目指す屈強な男が、若干ぴちぴちになりながらも着られる服を身にまとっていたという、その父の姿を脳裏に描こうとした。だがその直後、声の主は父の入院生活が長いこと、予後にあまり希望を持てないことを、ポツリと話した。その時の声のトーンは、その前よりも少し落ちていたように思う。

 だから失礼を承知で言えば、そういう事態を全く想定していなかったわけではない。あるいはW杯前に、鬼籍に入られるかも知れない。あるいはW杯で愛息の勇姿を、スタンドからなのか、病室からなのか、ご覧になられるかもしれない。職業柄などと、一括りにして責任逃れはしまい。自分の卑しい性格ゆえに、あらゆる状況を想定して、またどこかのタイミングで、話を聞こうと思っていた。お父さんは、W杯を見に来られますか?、と。

 「最後はギリギリですね。タイミング良く、沖縄から帰ってきた時くらいに容体が悪化して、ぎりぎりの状態で、僕が(病院に)着いた時にはほとんど意識がない状態で、ちょっと息をしているという感じで」

 「よう生きてくれました。10年前に(大腸がんの)グレード4と診断されて、よう生きてくれました」

 「僕が病室とか行ったら、僕がこんな髪型でよう目立つし、(まわりに自分の息子だと認識されて)凄くうれしかったみたいですね」

 「タイミング良く、よう頑張ってくれたので、死に目にも会えたかなという感じですね」

 文字に書き起こせば、こんなに重い言葉なのかと、がく然とする。それでもやはり、声のトーンは変わらなかった。私が同じ立場に立たされたら、ほんの二言三言発したところで、言葉を継げなかったと思う。だからこそ、その振る舞いに畏敬の念を抱いた。

 堀江翔太。

 強い男。

 9月20日、彼がどんな立場でその日を迎えようとも、私はそのことを知っている。(阿部 令)

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