真央 代名詞はトリプルアクセル「これがあるから自分は強くいられる」

[ 2017年4月11日 05:30 ]

浅田真央 引退を発表

2014年2月、ソチ五輪でトリプルアクセルを決める浅田真央の連続合成写真
Photo By 共同

 浅田をトップ選手に引き上げたのが、伝家の宝刀のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)だった。「これがあるから自分は強くいられる。決まると乗ってくるし、大きな見せ場で、自分の強みでもある」と、こだわったジャンプ。時に悩まされ、時に喜びをもたらした大技への挑戦史は、競技人生そのものだった。

 女子では1992年アルベールビル五輪銀メダルの伊藤みどりが初めて成功させた。浅田は「憧れの存在だった」というクラブの先輩を追うように、伊藤を教えた山田満知子コーチに師事し小学生から取り組み始めた。

 11年に死去した母、匡子さんとは小さいときからトランポリンでジャンプを練習。思い出が詰まった特別なジャンプでもあった。10年バンクーバー五輪後から指導した佐藤信夫コーチは「アクセルはあなたの生きがい」と教え子の心情に理解を示し、看板技の復活を支えた。

 トリプルアクセルを武器に数々の名勝負を演じ、国民的ヒロインとなった浅田に引っ張られ、フィギュアスケートは日本で有数のメジャー種目となった。浅田に憧れる子供たちがスケートを始め、普及と強化にも大きく貢献。その功績は計り知れない。今季、世界ジュニア選手権で活躍した本田真凜や坂本花織、白岩優奈も浅田を目指して成長を遂げた。浅田は銀盤を去ることになるが、来年の平昌五輪、その次の22年北京五輪では“真央チルドレン”が金メダルを目指す。浅田自身が果たせなかった夢を後輩たちが追い続ける。

続きを表示

2017年4月11日のニュース