真央の歩み 天才少女、世界選手権V、バンクーバー銀、ソチ名演…

[ 2017年4月11日 05:30 ]

浅田真央 引退を発表

2010年2月、バンクーバー五輪で銀メダルを獲得し、声援に応える浅田真央
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 ☆90年9月25日 愛知県名古屋市に生まれる。

 ☆95年 5歳でフィギュアスケートを始める。

 ☆02年10月 中部選手権で公式戦初のトリプルアクセルを決める。

 ☆02年12月 初出場の全日本選手権ではトリプルアクセルと3連続3回転ジャンプを決めて7位となり「天才少女」と呼ばれる。

 ☆05年3月 世界ジュニア選手権に初出場初優勝。

 ☆05年12月 シニア1年目で中国杯2位、フランス杯優勝し、GPファイナルに出場。同大会を史上最年少15歳で制した。

 ☆06年2月 トリノ五輪は年齢制限により出場できず。

 ☆06年12月 右手小指を骨折しながら全日本選手権初優勝。

 ☆08年3月 イエーテボリで行われた世界選手権で初優勝。

 ☆09年12月 全日本選手権で4連覇し、初の五輪出場を決める。

 ☆10年2月 バンクーバー五輪では1大会で女子初の3回のトリプルアクセルを成功させたが、金ヨナ(韓国)に及ばず、「あっという間に終わった。初めての五輪は悔しかった」と銀メダルに涙した。3月の世界選手権(トリノ)で2度目の優勝。

 ☆11年12月 母・匡子さん(享年48)が病気で亡くなる。悲しみの中、全日本選手権に出場し、2年ぶり5度目の優勝。「(母は)一番近くにいるような気がした。何も報告しなくても分かってくれている」と目を潤ませた。

 ☆14年2月 ソチ五輪ではSPでジャンプのミスが相次いで16位と出遅れたが、フリーでは完璧な演技で6位と巻き返し、感動を呼んだ。「バンクーバーの時は悔いが残ったけど、そのリベンジはできた」。3月の世界選手権(さいたま)では3度目の優勝。

 ☆14年5月 1年間の休養を発表。「体も心も疲れている。何を目指していくのか、じっくり考える一年にしたい」。現役続行の可能性については「ハーフハーフ」と表現。

 ☆15年5月 現役続行を表明。「自分が決めたことなので、責任を持ってやっていきたい」。GPシリーズ復帰戦の中国杯で優勝する。

 ☆16年3月 シーズン後半に左膝を痛め、世界選手権は7位だった。

 ☆16年12月 全日本選手権12位に沈み、世界選手権代表を逃した。

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