佐藤敦之6位入賞!北京五輪最下位の雪辱果たした

[ 2009年8月23日 06:00 ]

<世界陸上 男子マラソン>6位入賞を果たした佐藤は、歓喜のガッツポーズで雄たけびをあげる

 世界陸上の男子マラソンがブランデンブルク門発着の市街地周回コースの42・195キロで行われ、北京五輪最下位の佐藤敦之(31=中国電力)が2時間12分5秒で6位に入賞した。アベル・キルイ(ケニア)が2時間6分54秒の大会新記録で優勝。佐藤はキルイに5分11秒差をつけられたが、99年セビリア大会から続く日本勢の世界選手権での入賞を6大会連続に伸ばした。(スタート時の天候=晴れ、気温18度、湿度73%)

 歓喜の瞬間に似合わない雄叫びが、ゴールのブランデンブルク門に響き渡った。終盤の追い上げで6位に入賞した佐藤が、両拳を握りしめて絶叫する。「くそーっ!」。6位が悔しかったわけじゃない。1年前の悔しさを晴らした喜びが、第一声に凝縮されていた。
 「北京でめちゃくちゃ批判されて、やり返してやるって思っていた」
 エースとして期待された北京五輪は調整に失敗して最下位の76位。新聞記事でも酷評され、一時は「陸上をやめよう」と思った。リベンジの思いを秘めて臨んだ今大会。15キロ手前で先頭集団から脱落したものの、沿道で声をからした美保夫人の応援に応え、「飛び出しても絶対に落ちてくるから、抜いてやろう」とあきらめずに粘った。レース中盤は14位前後にいたが、35キロを8位と24秒差の9位で通過すると41キロ過ぎには7位へ浮上。サングラスを外して気合を入れ、もう1人抜き去った。「30キロを過ぎて、みんな足が止まってたんで“しめた”と思った。“屈辱からはい上がるのが福島の会津の人間”と言われ、それを実行できたのがうれしかった」
 北京五輪以降、練習に身が入らない日々が続いた。練習に行けば腹痛を起こし、朝練習に行ってもチームメートにバレないよう帰宅することもあった。転機は元日のニューイヤー駅伝。「きのうまで勝ってる選手にボロクソに負けておもしろくなかった」。調子が上がらない中の出場で失速したが、冷めていたハートに火がついた。
 優勝者とは5分差と世界のトップは遠い。それでも、ケニア、エチオピア勢に次ぐ6位は停滞感が漂う男子マラソンには光明だ。「過去を捨てて新しいものをどんどんつくっていきたい」。復活したエースが、世界の背中を懸命に追いかける。

 ▼佐藤 敦之(さとう・あつし) 1978年(昭53)5月8日、福島・会津若松市出身の31歳。会津高から早大に進学し、00年びわ湖毎日で2時間9分50秒の日本学生記録(当時)をマーク。01年に中国電力入社。03年世界選手権で10位。初の五輪出場だった昨年の北京は最下位の76位。自己ベストは07年福岡国際で出した2時間7分13秒。ハーフマラソン日本記録保持者。美保夫人はアテネ五輪陸上女子800メートル代表。1メートル70、55キロ。

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2009年8月23日のニュース