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【井原正巳 我が道16】サポーターがいてこそプロ 急激な環境の変化に思考が追いつかない選手も

[ 2025年7月17日 07:00 ]

Jリーグ開幕戦、加藤久さんとヘディングで競り合う
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 W杯1次予選を突破し、ホッとして帰国したが、5月15日のJリーグ開幕戦が控えていたので、コンディションを整えるために、すぐに切り替えた。Jリーグという大舞台がスタートする期待感で日本中が盛り上がっていた。1週間前まで日本代表でチームメートだった選手と対戦するのは複雑な思いもあった。

 開幕戦前日も特別高ぶることはなかった。当日はバスで国立競技場に向かい、ロッカーで着替えて、試合の準備をした。試合前のセレモニーや川淵三郎チェアマンのあいさつはウオーミングアップをしていて見ていない。ピッチに入る時に真っ暗で、パッと照明がついた時に、少し込み上げてくるものがあったぐらいで平常心だった。

 試合が始まり、前半19分にヴェルディ川崎に先制されたが、焦りは全くなかった。時間が十分にあり、しかも当時は横浜マリノスが日産時代の87年10月から16戦負けなし(12勝4分け)を続けていたからだ。後半3分にFWエバートンが決めて横浜Mが追いつき、14分に私のパスからMF水沼貴史さんがシュートし、こぼれ球をFWラモン・ディアスが決めて逆転した。開幕戦の2チームに選ばれただけでも幸せだったが、勝利で飾れて格別だった。

 日本代表人気に加えてJリーグ人気で凄いことになった。急に街を歩きにくくなった。日本リーグ時代はスタジアムが満員になることもほとんどなかったが、急にチケットが取れなくなった。知人に頼まれてもどうすることもできない。「こんな幸せなことはない」と思ったが、同時に「プロとは何か」ということがまだ浸透していなかった。プロとしての振る舞いや、ピッチ外の行動など、いつも人に見られているということを意識して行動しなければいけない。スポンサーやサポーターがいるから、お金をもらえているということ。「サポーターがいてこそプロ」で、ファンサービスがいかに大切か、今の選手なら誰でも理解しているが、この頃は、理解できていない選手がいた。それほど急に状況が変わり、追いついていけない部分があった。

 2年前にJリーグ開幕が決まった時は、日本でプロサッカーリーグがやっていけるのか半信半疑だったが、杞憂(きゆう)に終わった。私自身は日産に入った時から、サッカーをやめた後は会社に残らないと決めていたので、Jリーグ開幕が決まった時は、迷うことなく「プロ選手になって、やれるところまでやろう」と決意していた。開幕に尽力してくれた人に改めて感謝したいと思う。そして、苦境が続いた80年代の日本サッカーを支えたレジェンド、34歳のMF木村和司さんと32歳の水沼さんと一緒にJリーグの舞台に立てたことは感慨深かった。この2人の貢献がなければプロリーグはできなかったと思う。

 ◇井原 正巳(いはら・まさみ)1967年(昭42)9月18日生まれ、滋賀県出身の57歳。守山高から筑波大を経て横浜Mの前身の日産入り。磐田と浦和でもプレー。アジアの壁と言われ、大学2年生の時に日本代表入り、ドーハの悲劇とジョホールバルの歓喜を経験、98年W杯フランス大会に主将として出場。代表通算122試合。引退後は北京五輪代表コーチ、柏コーチ、福岡監督、柏監督を務めた。現在は解説者、6月にU―20Jリーグ選抜監督も務めた。7月から韓国2部・水原コーチ。

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