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ミュラー氏に世界が追悼 BミュンヘンCEOカーン氏「サッカー史の一部に」

[ 2021年8月17日 05:30 ]

元西ドイツ代表のゲルト・ミュラー氏(AP)
Photo By AP

 元西ドイツ代表のゲルト・ミュラー氏(享年75)が15日に死去したことを受け、長年所属したBミュンヘンは公式サイトを白黒表示に切り替えるなど哀悼の意を示した。最高経営責任者(CEO)のオリバー・カーン氏は「彼の残した偉業は比類がなく、永遠にクラブとドイツのサッカー史の一部として残る」と語った。

 「爆撃機」と呼ばれた同氏は64~79年にBミュンヘンで566得点を記録。ドイツ1部では427試合で365得点を挙げ、現在もリーグ最多得点記録を保持している。同い年のフランツ・ベッケンバウアー氏とともにBミュンヘンを世界的なビッグクラブへと引き上げた。元イングランド代表で86年W杯得点王のギャリー・リネカー氏は「子供の頃に見るのが大好きで手本にしていた。ペナルティーエリア内の点取り屋としては今まで見た中で最高の選手」と称賛。バルセロナで活躍した元スペイン代表でマンチェスターCの指揮を執るジョゼップ・グアルディオラ監督も「歴史上、最高のストライカー」と称えた。

 ≪西ドイツで日本人プロ選手第1号 奥寺康彦氏悼む≫西ドイツで日本人プロ選手第1号として活躍した奥寺康彦氏(69)は、ミュラー氏の死去を悼んだ。ケルンに在籍していた77~78、78~79年の2シーズン、Bミュンヘンのミュラー氏と対戦した。

 「もう彼は晩年だったし、動きも全盛期ほどではなかったと思う。ゴールを決められた記憶はないが、相手をうまくブロックしてボールをキープしたりするのはうまかった。ゴール前では怖かったね」と振り返る。

 奥寺氏も当時はFWで、マッチアップはしなかったが、試合終了後はあいさつを交わしたという。その後、接点はなかったが、「アルコール依存症で苦しんでいて、みんなが助けようとしていたのは聞いていた」と、残念そうだった。

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2021年8月17日のニュース