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メキシコの衝撃 日本銅メダル 7ゴール釜本が得点王

[ 2020年5月12日 06:24 ]

試合後、スタジアムの前でファンの声援に応える釜本
Photo By スポニチ

 【Lega-scene あの名場面が、よみがえる。~サッカー編~】昭和、平成の名場面を本紙秘蔵写真で振り返る「Lega―scene(レガシーン)」第6弾はサッカーです。第1回は日本が世界を驚かせた1968年(昭43)のメキシコ五輪です。日本をメダル候補に挙げる人なんてほぼいなかった時代。3位決定戦で地元メキシコに2―0で勝って銅メダル獲得の快挙を成し遂げた。釜本邦茂は同大会7ゴールを挙げて得点王。試合後、スタジアムの前で地元ファンの声援に応えた。

 左ウイングの杉山隆一からセンターフォワードの釜本邦茂へのホットライン。合宿で毎日何十本も練習したこの形が日本の生命線だった。3位決定戦でもこのコンビで2得点。銅メダルの原動力になった。「ここに出せ」「俺の体勢を見て要求しろ」代表合宿では時に怒鳴り合いながら練習した。目をつぶっていてもパスがつながったほど。努力の成果だった。

4年前の東京五輪で日本は8強入り。マイナースポーツだったサッカーが日本でも注目されるようになった。クラマー特別コーチの
教えを受け継いだ長沼健監督と岡野俊一郎コーチの指導で日本の選手はさらに厳しい練習に取り組んだ。

 東京五輪メンバーの大半が残ったことは幸いだった。キックやドリブルが上達し連係が向上して組織で戦えるようになった。進化のスピードには世界中が驚いた。

 だが、輝きは長くは続かなかった。メキシコ五輪後は若返りに失敗し96年アトランタ五輪まで長いトンネルが続いた。

 ≪スポニチ特派員・石原裕次郎さん「サムライ魂」絶賛≫ 1968年10月24日に行われた3位決定戦は厳しい試合だった。日本は前半に釜本の2点でリードしたが、地元の大歓声を受けたメキシコの猛攻を食らった。後半2分に取られたPKはGK横山が好セーブ。ピンチに次ぐピンチをしのぎ、最後は地元のファンも日本を応援した。スポニチの特派員としてメキシコ五輪を取材した俳優の石原裕次郎さんも「日本イレブンはサムライ魂で勝った。まず守りを固めてチャンスに攻める――誘って斬った」と完璧な戦いを絶賛したほどだった。

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