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U―23代表MF原川が選んだ“序列を変えるための挑戦”とは

[ 2016年4月29日 15:35 ]

U―23日本代表・原川力

 人間万事塞翁が馬とはよく言ったもの。特にサッカーでは、その言葉がよく当てはまる。川崎Fに加入したU―23日本代表MF原川力(22)を見てきて、そう思う。

 15年シーズンはJ2京都で背番号10を背負い29試合出場。オフに川崎Fからオファーを受け、移籍を決断した。京都時代に原川が残した数字は1アシスト。チームも過去最低の17位と低迷した。川崎Fには同じポジションに元日本代表MF中村憲剛(35)とリオ五輪代表で中核を担うMF大島遼太(23)が君臨。リオ五輪までに定位置を奪うのは難しいと思った。出場機会がなければ最大目標のリオ五輪出場も危うくなる。

 私自身「残留して、まずリオ五輪を目指すのもアリ」と伝えた。それでも原川は「簡単にいかないのは理解している」と譲らなかった。当時、手倉森ジャパンにおいてDF遠藤航(23=浦和)と大島に次ぐ3番手。さらにMF井手口陽介(19=G大阪)も急成長を遂げていた。本大会では24歳以上のオーバーエージも絡んでくる。J1を経験したことがなかった原川は序列を変えるための挑戦を選んだ。

 ところが川崎F合流前に参加したリオ五輪アジア最終予選で、最も輝いたのが原川だった。記憶に新しいのは準決勝イラク戦でのロスタイム決勝弾。目の覚めるようなミドルを叩き込み、五輪出場をたぐり寄せた。「これで何か景色が変わると思う」。大きな期待を持って新天地に合流した。

 待っていたのは試練だった。本職であるボランチでプレーさせてもらえることはなく、サイドバックやセンターバックで汗を流す日々。レギュラーどころかベンチ入りもままならない。悩んだ。3月末のポルトガル遠征では手倉森監督にも相談した。もし4月に入っても状況が変わらなければ育成型期限付き移籍をしていたかもしれない。

 踏みとどまったのは意地とアジア最終予選で得た自信があったからだ。門外漢なポジションでの練習は「自分がボランチで出場した時にやられたら嫌なことをイメージしながらプレーします」「サイドバックは1対1の練習になりますね」。前向きに取り組んだ。そうするとチャンスは訪れた。

 4月6日のナビスコ杯・新潟戦。ボランチでデビューを果たして1アシストを記録した。チームも5―0で大勝。続く鳥栖戦では途中出場でJ1リーグ初出場し、縦パスでロスタイム決勝弾を演出した。チーム内の序列は上がった。さらに追い風が吹いた。大島の発熱を受け、16日のFC東京戦で急きょ先発に抜擢。勝利に貢献した。だが、その頃…。新たな問題を抱えていた。

 4月上旬に静岡県内で行われたU―23代表合宿中に脇腹を打撲。痛みに耐えながらプレーしていたが、プレーできる状況ではなくなり、浦和とG大阪戦は欠場せざるを得なかった。不測の事態で良い流れをリセットするハメになった。

 とはいえ、ジェットコースターのような4カ月を過ごしてきた原川に動じる姿はない。「またシッカリ準備しますよ!」。成功体験と苦い経験。濃密な時間はリオ五輪、そして五輪後も続くサッカー人生に大きな影響を持つはずだ。(記者コラム・飯間 健)

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2016年4月29日のニュース