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柿谷 バーゼル決定!W杯で「悔しい思い」18年ロシアへ雪辱第一歩

[ 2014年7月8日 05:30 ]

C大阪サポーターの期待を背負いバーゼルに移籍する柿谷

 C大阪は7日、日本代表FW柿谷曜一朗(24)がスイス1部のバーゼルに16日付で完全移籍すると発表した。期間は18年6月30日までの4年契約。移籍金は100万ユーロ(約1億3800万円)で年俸は税込みで60万ユーロ(約8300万円)とみられる。背番号は14に決まり、17日にチームに合流する。セレッソの下部組織で4歳からサッカーを始め、代表にまで上り詰めた天才児が欧州挑戦の夢を実現させた。

 C大阪の育成史上、最高傑作とうたわれた柿谷が欧州挑戦を決意した。

 「セレッソがめちゃくちゃ好きだし、一緒にやってきたみんなとタイトルを獲りたい気持ちはありました。でも、もう一度海外でプレーできるチャンスが来て、ワールドカップで悔しい思いをした中でいっぱい考えて、FCバーゼルでチャレンジしようと決めました」

 クラブによる公式発表の中、揺れた胸中をコメントにして明かした。

 香川(マンチェスターU)を筆頭に乾(フランクフルト)、清武(ニュルンベルク)らを輩出し「育成のセレッソ」と言われてきたが、純粋なクラブ育成組織出身者で海外に向かうのは今回が初だ。4歳でスクールに入り「天才児」と呼ばれてステップアップを重ねてきた。それだけに移籍決断は容易ではなかった。

 昨オフにイタリアのフィオレンティーナからオファーを受けた際は日本でのプレー続行を決断。今季バーゼルから高評価を受けながらも、Jでの初優勝とさらにレベルの高い欧州主要リーグでのプレーを視野に入れてきた。ただ、W杯ブラジル大会では2試合に途中出場して無得点と不完全燃焼。成長を求め、W杯後に気持ちが移籍へと傾いた。1日に日本を離れて現地1泊の弾丸視察。最後まで悩んだが、W杯敗退後に「何もできなかった日本の現状を俺らが変えていかなアカン!」と熱く語った男は現状打開へ、自ら行動に移した。

 発表された背番号14はバーゼルのエース番号。今季背負ったスイス代表MFシュトッカーはリーグ戦でチーム最多13得点で5連覇を支え、ヘルタへの移籍を決めた。19日にリーグ戦が開幕する来季はRマドリードが連覇を狙う欧州CLで1次リーグから出場。イングランドやスペインなどと比べてレベルが落ちるスイスリーグだが、エースとして結果を残せば主要リーグへのステップアップも十分実現可能だ。

 柿谷はこの日、大阪市此花区でチームの2部練習に加わり、フルメニューを消化。移籍に関しては「メディアの前では(移籍の)理由やら何やらは言いたくない」と言葉を絞り出し、後日の会見でファンに感謝の気持ちを伝えるという。C大阪はJ1再開となる15日の川崎F戦(金鳥スタ)でセレモニーを行う予定。サポーターの熱い声援を背にスイスへと向かう。 

 ◇柿谷 曜一朗(かきたに・よういちろう)1990年(平2)1月3日、大阪市出身の24歳。4歳でC大阪のスクールに入団。06年にクラブ史上最年少の16歳でプロ契約。将来を嘱望されながらも遅刻を繰り返して09年6月にJ2徳島へ期限付き移籍。経験を積んで12年に古巣へ復帰すると翌13年にリーグ戦21得点。13年度はJリーグ・ベストイレブンに選ばれ、同年7月に日本代表に初選出された。J1通算78試合33得点、J2通算148試合18得点。1メートル77、68キロ。利き足は右。

 ▼バーゼル・ホイスラー会長 欧州の複数のクラブからのオファーの中、バーゼルに決めてくれてうれしい。(公式サイトで談話を発表)

 ▽FCバーゼル 1893年にスイス北西部のバーゼルを本拠地に創設された。チームカラーは青と赤で元所属選手がスペインに移住してバルセロナを創設し、同クラブにチームカラーが引き継がれたことでも知られる。国内リーグは1952~53年シーズンに初優勝。現在5連覇中で通算優勝17回。スイス杯は優勝11回。06~08年に中田浩二(現鹿島)が所属した。元ポルトガル代表MFのパウロ・ソウザ監督が指揮。ホームはザンクト・ヤコブ・パーク。

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2014年7月8日のニュース