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熱いミラノダービー 初対戦から“因縁”

[ 2013年12月17日 05:30 ]

ミラノダービーで代表盟友の長友、本田のマッチアップが濃厚

 ▽ミラノダービー≫ ともにミラノに本拠を置くインテル・ミラノとACミランの対戦。長友は4試合出場で3勝1分け。初出場した12年1月の試合は左サイドバックで先発し1―0で勝利。同年5月は相手エースのイブラヒモビッチを封じ4―2快勝。同年10月は後半3分に人生初の退場処分を受けたが1―0辛勝。今年2月の対戦では左膝を負傷し後半29分に途中交代を申し出たが交代3分前に同点弾をアシストし1―1のドロー。リーグ戦通算ではインテルの66勝52分け60敗。

 ☆初対戦から因縁 1908年、ACミランの一部役員が運営方針に反発してインテルを設立。公式記録に残る初対戦は翌09年1月10日でミランが3―2で勝ったが、相手が登録外選手を出場させたと互いに異議を唱え論争に。インテルサポーターは前年10月に2―1で勝った試合が初のダービーと主張する。
 
 ☆好対照 サポーターはミランが労働者階級、インテルは中産階級が中心だったこともあり、特にミランサポーターが相手に憎悪を燃やした。50~60年代からミラノダービーがセリエAの覇権を左右するようになり、チケットはスカラ座の公演初日よりも入手困難と言われた。

 ☆スター対決 86年就任のベルルスコーニ会長が資金を投じ、低迷していたミランを強化。90年代初頭のミラノダービーはスター対決となり、ミランはフリット、ファンバステン、ライカールトのオランダトリオが、インテルはマテウス、ブレーメ、クリンスマンのドイツトリオが活躍。

 ☆欧州舞台で醜態 05年4月12日、欧州CL準々決勝第2戦。初戦を0―2で落としたインテルは0―1の後半25分、ゴールが無効と判定されたのを機にサポーターが何十本もの発煙筒をピッチへ投げ込む暴挙。ミランGKジダが肩を負傷し没収試合が宣告された。

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2013年12月17日のニュース