×

武者修行経て いつしか“侍ハードラー”に

[ 2008年7月18日 06:00 ]

トレードマークのアゴヒゲをさすりながら思いを語る為末大

 ザグレブで破ったサンチェスは、この敗戦を最後に43連勝を飾り、04年アテネ五輪金メダルに輝いた。偉大なランナーに黒星をつけた為末はその後、ローザンヌ(3位)、パリ(5位)と転戦。計4戦で約90万円を稼ぎ、成田行きの航空券も無事に約20万円で購入した。遠征の最後には思わぬトラブルも発生。パリの主催者が用意したホテルはレース当日までしか予約がなく、レース後ホテルに戻ると荷物がすべて部屋の外に出されていた。言葉が通じず、宿泊延長交渉を断念。シャルル・ドゴール空港のベンチで、毛布にくるまって一夜を明かした。

 「今までは自分がうろたえるような局面がなかった。ダメな自分が見えて良かったですね」
 そして同年8月、エドモントン世界選手権で銅メダル。日本人で初めて、世界大会で短距離種目の表彰台に上った。05年ヘルシンキ世界選手権でも再び銅メダル。いつしか“侍ハードラー”と呼ばれるようになった。
 「あの遠征、ザグレブでの優勝がなかったらエドモントンのメダルもなかった。行ってなかったらと思うと恐ろしい。行ってなかったら、日本選手権で何回か勝つだけの選手で終わってたんじゃないかな。プロになる発想も生まれていないかもしれない」
 予選落ちのシドニー、準決勝敗退に終わったアテネ。現役ラストランと決めている北京五輪は、過去2度味わった悔しさを晴らす舞台でもある。
 「早く走りたいなって思う。先行していたい。直線に出るまでは」
 昨夏の大阪世界選手権は無念の予選敗退。今季は春先から抱える両ふくらはぎの不安が長引き、レース数を増やして北京を目指すプランは修正を余儀なくされた。表彰台へのハードルが高いのは百も承知。だからこそ、侍の血がたぎる。あの瞬間から始まった競技人生のすべてを込めた一太刀で、立ちふさがるライバルを斬り捨てる。

続きを表示

2008年7月18日のニュース