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“88日”乗り越え生まれ変わった

[ 2008年7月18日 06:00 ]

上野が青空を背にポーズをとる

 ジュニアとしては破格の107キロの速球で、台湾では“オリエンタル・エクスプレス”の異名を取った。柏原小時代は、部員8人に2人のバスケ部員を借りた編成で福岡県大会優勝。柏原中でも全国制覇した。「私が打たれなければ勝てる」。守っている選手に声なんて掛けなくても、自分さえしっかりしていればいい。そんな考えを持つのも、必然だった。京都さんは言う。「ケガだって、自分なら跳べるという慢心からだと思います」。父の正通さん(53)が娘を「神様からの預かりもの」と周囲に紹介する、たぐいまれな身体能力。その天賦の才が過信を植え付けていたことを、母は見抜いていた。

 「できることは自分で何でもやりなさいというのがわが家の方針だった。でも、入院したら身動きもとれないし、何一つできない。毎日、仕事帰りに母さんが来てくれて世話をしてくれた。1人では何もできないってしみじみ感じた」
 見舞いに来たチームメートの「早く帰っておいで。待っている」の言葉がまた染みた。上野不在のインターハイは8強止まり。でも、誰も授業中のケガを責めなかった。仲間はこんなに自分のことを思ってくれていた。自分はどうだ?「涙を見せるのは大嫌い」な16歳が、深夜の病室でしみじみと泣いた。
 ベッドを45度起こしただけで貧血を起こしたリハビリ。一度もマイナス思考になることはなかった。「私を待ってくれている仲間のために、早く戻りたい。そして、あれだけ練習が面倒くさいと思っていたソフトボールが、したくてしたくて仕方がなかった」。退院は入院から88日後の10月9日、土曜日。生まれ変わったと思った。
 「復帰して初めての試合で、ピッチャーズサークルから後ろを向いて、生まれて初めて声を掛けたことは忘れない。誰かがエラーしたら私がカバーすればいい。私が打たれても、誰かが助けてくれる。それがソフトボールなんです」。あのとき知った、あの気持ち。ソフトボールの素晴らしさをアピールする最高の舞台は、間もなくやってくる。

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2008年7月18日のニュース