【ウマ娘と名馬】ジャングルポケットが繋いだキセキの物語

[ 2024年5月24日 12:00 ]

「ウマ娘」サポートカード[The frontier]には2001年日本ダービーのジャングルポケットの姿が描かれている(C)Cygames,Inc.
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 今、歴代の名馬に再びスポットライトが当たっている。クロスメディアコンテンツ「ウマ娘 プリティーダービー」が火付け役となった近年の競馬ブーム。スポニチアネックスでは、レジェンド騎手・武豊が「相当に詳しい」と舌を巻いたウマ娘の緻密なストーリー設定と、モチーフになった史実の共通点を読み解く新企画がスタート。第3回は今週末に行われる「日本ダービー」を01年に優勝した“府中の鬼”ジャングルポケットを取り上げる。

 ジャングルポケットの馬生は2頭の“幻の3冠馬”なくしては語れない。1頭は同期のライバルだったアグネスタキオン。そして、もう1頭はフジキセキ。「ウマ娘」のジャングルポケットのキャラクター設定も「走りで最強を目指すと豪語するやんちゃなウマ娘。元はフリースタイル・レースの世界で荒くれ者たちを束ねるリーダーだったが、フジキセキの走りに衝撃を受け、公式レースの世界に飛び込んできた」とフジキセキの影響を色濃く受けたものとなっている。

 史実ではどのような関係だったのか。ジャングルポケットとフジキセキは馬主、調教師、担当厩務員が全く同じ。デビュー3戦目からはフジキセキの相棒だった角田晃一騎手が手綱を取るようになり、まさに“チーム・フジキセキ”が育てた競走馬だった。

 フジキセキは94年8月にデビュー。その翌年3月、無敗(4戦4勝)のまま志半ばでターフを去った。2戦目のもみじSでは後のダービー馬タヤスツヨシを圧倒し、続く朝日杯3歳S(現・朝日杯FS)でG1初制覇。クラシックへの有力ステップである弥生賞でもライバルを寄せ付けず。早くも3冠を期待する声が上がり始めていた矢先、左前脚に当時“不治の病”と称されていた屈腱炎を発症。現役引退が決まった。

 フジキセキが去った渡辺栄厩舎にジャングルポケットがやってきたのはその5年後。「体つきも気性も子供っぽくて完成度はフジキセキの方が上」(角田)だったが、体質の強さが大きな武器となった。定年引退まであと3年と迫っていた大ベテラン、渡辺調教師をして「ここまで丈夫な馬は初めて」と言わしめた若駒は、坂路を中心としたトレーニングで日増しに成長していった。

 ラジオたんぱ杯3歳S(現・ホープフルS)、皐月賞ではアグネスタキオンの後塵を拝したが、フジキセキがゲートインすら叶わなかった日本ダービーへ無事に駒を進める。致命的な出遅れが敗因となった皐月賞後は騎手交代の噂も浮上したが、渡辺調教師は弟子である角田を信頼。角田はレース1カ月前から趣味であるゴルフを封印し、ダービーに全身全霊を注いだ。

 渡辺調教師、星野幸男厩務員が「とにかく無事に」と送り出した21世紀最初のダービーは、これまで出走が認められていなかった外国産馬にも門戸が開かれた開放元年。正真正銘、世代の最強馬を決める一戦となっていた。そんな新時代の扉をこじ開けたのは、日本で生まれたジャングルポケットだった。「1頭になると言うことを聞かなくなるから怖かった」と角田が振り返るウイニングランでは“勝利の咆哮”。ジャングルポケットは10万を超える大観衆の目の前で顔を天に向け、何度もいなないた。「ウマ娘」のサポートカード「The frontier」のイラストは今も語り継がれるこの名シーンを描いている。

 勝利の咆哮の裏で、齊藤四方司オーナーは「フジキセキの時は本当に悔しい思いをしましたが、同じスタッフでダービーを勝つことができて良かった」と涙。戦前は「ジャングルポケット自身のために頑張ってもらいたい」とあえて偉大な先輩との比較を避けていた渡辺調教師も、激闘から帰ってきた愛馬を出迎えると「フジキセキの分も頑張ってくれた」と声を震わせた。フジキセキを超えた?との問いかけには、「無事にダービーに出られて勝てたということは、そういうことかもしれないね」と感慨深げに言葉を紡いだという(01年5月28日付スポニチ)。

 さて、「ウマ娘」初の映画化となった劇場版『ウマ娘 プリティーダービー 新時代の扉』はダービーウィークの24日から公開。物語の軸はジャングルポケットなど01年クラシック世代だ。その勇姿はどのように描かれているのだろうか。

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