大野裕オーナー、息子拓弥と夢見る重賞制覇 親子を直撃

[ 2019年8月28日 05:30 ]

肩を組む大野拓弥(左)と父親の大野裕氏(撮影・郡司 修)
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 愛と夢の親子丼だ。我が子に持ち馬を乗せたくて一念発起、JRAの馬主になった実業家がいる。東の実力派ジョッキーで知られる大野拓弥(32)の父、大野裕オーナー(59)。7月の福島競馬では父の愛馬に息子が騎乗して勝利を挙げる“親子丼”も実現。親思う心に勝る親心…。名物ホースマンに迫る「Ask You」。今週は大野オーナーの思いを息子の大野騎手と一緒に聞いた。

 ――息子さんに騎乗させるために馬主になったそうですね?
 大野オーナー(以下、父) そうなんです。拓弥に乗ってもらえればと思いましてね。初めて持ったシルバーラインは東京未勝利戦(16年6月)で拓弥を背に14着。これが馬主としてのデビュー戦です。

 ――昨年7月の福島では所有馬のホクセンジョウオー、今年7月の福島でも共同所有のマリアルージュが息子さんの手綱で快勝。
 父 マリアは最近安定してきて、そろそろ勝つなと思ったので福島に応援に行ったんです。ホクセンジョウオーにもうまく乗ってくれましたね。もっとも、この馬が昨春の新潟で初勝利した時は拓弥が新潟に行かなかったので、菊沢君が乗ってくれた。

 ――お父さんの馬を優先して騎乗するわけではないのですね。
 父 私の持ち馬にはいつでも乗ってほしいが、もちろん、縛るつもりは全くありません。それほど凄い馬は持っていないですから。他の馬主さんの馬を優先してもらっています。僕のには空いている時に乗ってもらえるだけで十分です。

 ――騎乗依頼はどんなやりとりなのですか?
 父 そっけないものですよ。LINEで「空いてるの?」、「いや、駄目だよ」みたいな…。拓弥の場合、自分の親父の馬だからという意識が全然ない。特別扱いせず、頼まれた馬はみんな公平に対応するから、かえって信頼できる。

 ――息子さん思いですね。
 父 私もジョッキーになりたかったんです。父の実家が中山競馬場の近くにあったもので幼少時から競馬に連れていってもらって、馬が好きで騎手になりたくて…。マーチスとかタニノムーティエが現役だった時代です。小学生の時に目の前で走っている名馬たちの姿を見て魅了された。野平祐二さんに憧れて、ジョッキーを夢見たんですが、母に大反対されまして…。

 ――それで騎手ではなく、馬主に?
 父 最初は愛馬会員になっていました。拓弥が小学校の時ですかね。自分が競馬の大ファンだから子供たちも頻繁に競馬場に連れていった。ドライブすると、男の子3人で馬名のしり取りとかやって遊んでいました。

 大野騎手(以下、子) 僕は競馬場には行ってませんよ。テレビ観戦でした。

 父 おまえは行かなかったか?小学生の時から乗馬クラブに通っていたからな。その代わり、みんなで北海道を1週間旅行して、牧場を巡った。ノーザンホースパークやメジロ牧場にも行ったよな。

 子 (静内・アロースタッドに)ちょうどラムタラがけい養されていました。オグリキャップも見ましたね。セレクトセールにも行きました。僕が小学校の時です。乗馬クラブには小学6年から通いだしました。もっとも、いつの間にか騎手を目指していたっていう感じですが…。

 父 そういえば、拓弥が幼稚園の頃、実家に連れていったら中腰でムチを振るマネをして、おじいちゃんにお小遣いもらっていたよな。当時、騎手だった中野栄治さん(現調教師)がレスター・ピゴットみたいに少し尻を上げて乗ったじゃないですか。あのマネをしていたんですよ。

 ――3兄弟同じようにお育てになっても、次男の拓弥君だけが競馬の世界に入ったのですね。
 父 長男は体が大きかったので厩務員にさせたかったが、家業(生活雑貨販売)に専念してます。三男も競馬の世界には入らず、水道工事業。馬を仕事にしたのは拓弥だけ。騎手になることについて妻も何も言わなかった。

 子 いや、反対してたよ。

 父 えっ、反対してたの!?

 子 危険なイメージが強いみたい。

 父 そうなのか…。初めて聞いたな…。

 ――ともあれ、拓弥君が最も積極的だった?
 父 「誰か乗馬やるか」と聞いたところ、拓弥が手を挙げて。千葉のオリンピック乗馬クラブです。三浦皇成君と一緒。川島信二君らもいた。毎週土、日曜には越谷の自宅から片道2時間かけて車で送り迎え。帰りの車中はその日の乗り方についての反省会です。おふくろは私が騎手になるのを反対したくせに、拓弥の騎手志望には「子供の夢をかなえるのが親だろう」と。

 ――25日の札幌新馬戦では持ち馬のユーメイドリームがデビュー(4着)しましたが、馬主になられてからの収支は?
 父 マイナスでしたが、去年はホクセンジョウオーのおかげでだいぶ回収できました。持ち馬は共同所有も含めれば中央、地方合わせて約10頭。馬代、育成代、厩舎や外厩の預託料とかかりますから走らないときつい。

 ――馬券の戦果は?ホクセンジョウオーの初勝利は15番人気だった。
 父 あのレースはおいしかった(笑い)。でも、最近は買わなくなったんです。無事に走ってほしい、馬券に浮かれちゃいけない、と思うようになった。まあ、息子は人気薄でも上位に頑張ってくれるので、その騎乗馬を買えば損はしないと思いますが…。

 ――05年デビューから7年連続の単勝万馬券を演出して「穴の大野」と呼ばれていますね。人気薄で好走している実感はある?
 子 ありますね。そういう乗り方しているからじゃないですかね。身の丈に合った乗り方というか…。人気がない馬でも3着ぐらいにはもってこようという気持ちです。はまった時には勝つこともあります。

 父 馬券はともかく、拓弥の騎乗したレースはデビューから全部グリーンチャンネルを録画しています。

 ――騎乗ぶりは変わってきた?
 父 僕みたいな素人が言うのも何ですけど、自信持って乗っているなと。デビュー当初はがむしゃらに乗っていたが、最近は馬のことを考えて乗っていると感じる。いつの頃からか、「プロだな」、「アスリートになったんだな」と感じさせる瞬間があった。以前はアブミの長さにまで口を挟んでいましたが、もう口出しは一切できないなと。

 ――目標は息子さんの手綱で重賞勝ちですか。
 父 勝たなくても出したい。重賞に出られるような馬を持てるようになるのが夢。

 子 父の馬でこうしたいみたいなのは特にないです。成績がいいに越したことはないので頑張ってもらいたいです。

 ――将来は大野拓弥厩舎に預ける?
 父 調教師になる気あるの?ないんじゃない(笑い)。

 子 いや、考えたことはありますけど…今は考えてないです。

 父 将来、立場がどう変わったところで親子の関係は切れないですから、一緒にいい夢を見たいですね。

 ◆大野 裕(おおの・ゆたか)1960年(昭35)3月1日生まれ、東京・北千住出身の59歳。埼玉県越谷市在住。生活雑貨販売業「ライフテースト」代表取締役。馬主となった16年から共同所有馬を含めて中央、地方で約10頭所有。出身地にちなんで「ホクセン」(北千住の俗称)を冠名にしている。

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