【有馬記念】柴田政人師、平成の有馬回顧 イナリワンで「元年」制覇、SSで一変

[ 2018年12月22日 06:30 ]

柴田政人調教師
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 イナリワンがオグリキャップを差し切って始まった平成の有馬記念。その鞍上だった柴田政人調教師(70)が当時の熱気、そして平成のグランプリを回顧した。

 平成元年から29年分のグランプリ激闘史がつづられた雑誌を懐かしそうにめくっていく。野武士と呼ばれた平成最初のグランプリホースを特集した巻頭のページに再び戻ると、柴田政人調教師(70)は静かに語り始めた。「俺の騎手時代から有馬も随分変わったよ。あの頃は地方からも凄い馬が続々と現れて、熱いドラマが生まれたものだ」

 ゴール前を埋め尽くした雨傘が激しく波打つ直線。「ユタカ!」の黄色い歓声が「マサト!」の野太い絶叫に変わった。20歳の天才、武豊スーパークリークとオグリキャップが単枠指定の2強決戦。怒とうの追い込みを決めたのは柴田政人を背にした大井出身の“野武士”イナリワンだった。10度目の有馬騎乗に念願のタイトルを懸け、なりふり構わず追いまくる41歳。ベテランこん身の手綱に応え、スーパークリークを24センチだけ差し切った。

 「その年の秋の天皇賞、ジャパンCとも大敗したせいで人気はなかったけど内心、自信はあったんだよ」と師は振り返る。「今だから言えるが、秋の天皇賞前に東京競馬場に入厩させたら、1頭で寂しがってカイバを食わなくなったんだ。慌てて別の馬を東京に連れてきたけど、それでも食わない。体が細くなってね。調教も加減するしかなかった」。ところが、JC出走後、美浦トレセンに帰厩した途端に変化が起きる。「がつがつ食いだしたんだ。体が増えて具合もどんどん良くなった。450キロの小さな馬でも走らせたら凄く大きく見せる。よし、これなら…」

 野武士の馬上で政人が誇らしげに右手を上げたこの年。ベルリンの壁が崩され、マドンナ旋風が吹くなど世界に新しい波が押し寄せた。競馬も武豊と芦毛の怪物オグリキャップの出現でギャンブルから国民レジャーへ。昭和から元号が変わった新時代。その幕開けを飾った名手も来年2月に定年を迎える。

 平成最後の有馬は現役調教師として立ち合うラストグランプリ。「29年の間に競馬の中身も一変した。変えたのはサンデーサイレンスだね。この米国血統がラストの切れ味だけの競馬にした。馬場も断然良くなった。上がり32秒なんて俺の騎手時代にはあり得なかった」。平成のハイテク時代を反映する高速瞬間スピード競馬。「でも、みんな画一化して、個性派のドラマが少なくなった。今の騎手は日本ダービーじゃなくて凱旋門賞が目標。世界を目指すのは素晴らしいが、名馬がファンをつくり、ホースマンをつくる。それは次の時代になっても変わらないと思う」。自身のホースマン人生と共に別れを告げる平成の競馬を振り返った。

 ◆サンデーサイレンスとは 父ヘイロー、母ウィッシングウェル、母父アンダースタンディング。イニシャルからSSとも呼ばれ、生涯競走成績は14戦9勝。90年に社台ファームの創始者・吉田善哉氏が購入。初年度産駒のジェニュイン(皐月賞)、タヤスツヨシ(ダービー)などがいきなり活躍。その後もディープインパクトなどの名馬を輩出し続け、日本競馬を根底から変えた種牡馬。02年8月19日没。

 ◆柴田 政人(しばた・まさと)1948年(昭23)8月19日生まれ、青森県出身の70歳。67年騎手デビュー。JRA通算1767勝、重賞89勝。G1は天皇賞(80年秋プリテイキャスト、83年秋キョウエイプロミス、87年春ミホシンザン)など12勝を挙げた。93年にはウイニングチケットで悲願のダービー初制覇。95年、騎手引退と同時に調教師へ転身し、JRA通算189勝。14年には同期の岡部幸雄元騎手らと共に競馬の殿堂入り。JRA騎手の柴田善臣は、おい。

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