大井で決めた!的場“日本一”地方最多7152勝の新記録達成

[ 2018年8月13日 05:30 ]

<大井5R>地方競馬日本新記録通算7152勝を達成し口取りで手を振るシルヴェーヌに騎乗した的場騎手。右端はボードを上げる尚子夫人(撮影・久冨木 修)
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 「大井の帝王」から「日本競馬界の帝王」へ。的場文男(61=大井)は12日、TCK第5Rでデビュー戦となるシルヴェーヌに騎乗し、2着馬に3馬身半差つけて逃げ切り勝ち。騎手として生まれ育った大井競馬場で、佐々木竹見元騎手の地方競馬最多勝利記録(中央、海外の勝利数を除く)を17年1カ月ぶりに更新する通算7152勝の日本記録を樹立した。73年10月の騎手デビューから46年目、騎乗4万567戦目で達成した未来永劫(えいごう)、破られないであろう大記録。来月7日で62歳となる的場は、今後も「生涯一騎手」として勝利を積み重ねていく。

 栄光のゴールを駆け抜けると、的場は馬上でうつむき加減に喜びをかみしめた。そして戻ったスタンド前。約1万6000人のファンからの大歓声で出迎えられると照れながら右手を上げ、次には何度もお辞儀をした。2回、3回…。気付けば13回も頭を下げていた。

 「今はホッとしています。ゴールした瞬間は“これで日本記録だな、7152も勝ったんだな”と。ここまで(記録達成を)長引かせてしまって、競馬で1勝する苦しさと難しさに改めて気付かされた。ファンにはこれまでの感謝の気持ちでいっぱいだったので、頭を下げてあいさつをさせてもらいました」

 そう言って汗を拭うと、騎手仲間が胴上げしてくれた。夕暮れの夏空に4度舞った。

 5R。2枠2番シルヴェーヌで最高のスタートを切った。終始、主導権を譲ることなく、最後の直線では後続を豪快に突き放す。3馬身半差、逃げ切り完勝だった。関係者からはウイニングランを要望されたが、馬を最優先に思いやる的場らしく「馬が若いし、(レース後で)まだ苦しそうだったのでゴール板までにさせてもらいました」と振り返った。

 自身が切望してきた大井競馬場での日本新記録達成。13歳で福岡から単身上京。当時の時給は500円。買いたい物も買えない生活だったが、少年の心を支えたのが雄大な富士の姿だった。「大井競馬場も昔は馬場から富士山が見えたんですよ。僕は富士山が好きでね、いつかは自分も富士山のように日本一になれるようにと思っていた。だから若い頃は苦労しても、ただがむしゃらに精いっぱい頑張って、歩みが遅くても上に向かっていこうと…」。そして今、前人未到の頂上に立ち、「親に感謝ですね。ここまで体が丈夫なんだから」と話した。

 61歳を超えてもなお第一線で活躍し続けるのは、常に今の自分を超えたいというモチベーションがあるから。若い頃はとにかく走った。腹筋も相当にやった。「そんなにやったって成績は変わらないよ」。先輩騎手の陰口が聞こえてきた。全く意に介さなかった。83年に初の大井リーディングを獲得すると、そんな声はぴたりとやんだ。

 長年の騎乗で腰はガタガタになり、落馬事故でほとんどの歯も失った。それでも「せっかく生まれてきたんだから。どんなに重傷でも、それで騎手を辞めようと思ったことは一度もないよ。少しでも早く馬に乗ることしか考えてこなかった」。逆境に立てば立つほど強くなる精神力で乗り越えてきた。

 次なる目標を問われると、「これから(騎手生活)は短いかもしれないが、競馬はずっと続くし、大井競馬場は永久に不滅です!!応援してくれる人もいるし、もうちょっと頑張りたい」。悲願の東京ダービー制覇、地方競馬最年長騎乗記録(森下博騎手の63歳2カ月)、同最年長勝利記録(山中利夫元騎手の62歳9カ月)の更新…。夢の続きはまだまだある。

 ◆的場 文男(まとば・ふみお)1956年(昭31)9月7日生まれ、福岡県大川市出身の61歳。東京都騎手会所属。73年10月16日、ホシミヤマで初騎乗5着もいきなり騎乗停止。同年11月6日、同馬で初勝利。77年アラブ王冠賞(ヨシノライデン)で重賞初制覇。02、03年全国勝ち鞍1位。03年はNARグランプリ最優秀騎手賞。JRAでは124戦4勝。海外は3戦1勝(韓国)。思い出の馬はカウンテスアップ。好きな言葉は「努力」「根性」。好きな食べ物はカレーライス。血液型A。

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