競輪GP王者浅井 元阪神・赤星氏に車椅子13台寄贈

[ 2016年2月25日 05:30 ]

赤星憲広氏(左)に車いすを贈呈する浅井康太

 昨年末のKEIRINグランプリ2015を制し、競輪界(約2400人)の頂点に立った浅井康太(31=三重)が24日、スポーツニッポン新聞社大阪本社を訪れ、車椅子寄贈活動「Ring of Red」を主宰する元阪神タイガース外野手でスポニチ本紙評論家の赤星憲広氏(39)へ車椅子13台を寄贈した。浅井はスポニチ本紙とロゴ契約を結んでおり、スポニチ本紙を介して愛のコラボが実現。今後も競輪を通じての社会貢献活動に力を注いでいくことを宣言した。

 「Ring of Red」の車椅子寄贈活動に現役競輪トップ選手が協力する夢のコラボ。そのスタートは昨年7月だった。プロ野球選手を引退後も社会貢献活動を続ける赤星氏に共感し、浅井が「自分も参加したい」と名乗りを上げた。阪神戦プレーボール前の甲子園で顔合わせが実現。2人は固い握手を交わした。それがモチベーションとなったか、浅井は競輪界の頂点へ。たっぷりの愛を抱え、記念すべき寄贈の日を迎えた。

 浅井が用意したのは、まず9台。昨年11月、競輪祭(G1)終了時の年間獲得賞金が約9000万円だったことから決めた。さらに、4度のG3優勝にちなんで4台を加え、計13台の車椅子を寄贈した。フレームには右側に「Ring of Red」、左側に浅井の代名詞である左重心のシルエット「Keep Left」のロゴが施されている。

 贈呈式はスポニチ大阪本社で行われた。浅井は「皆さまのおかげでグランプリを優勝することができました。今回寄贈する13台に加えて、あらためてグランプリの優勝分として10台を贈らせていただきます」と宣言した。

 今年31台の車椅子を寄贈する赤星氏は「グランプリを勝って競輪界のトップに立ち、前日の奈良記念(23日決勝)も勝ってくれた。やっぱり凄い選手。一緒に活動できてうれしい」と浅井の活躍を称えた。「同世代の励みになるように頑張ってください」とエールも送った。

 浅井は今年1年間、チャンピオンユニホーム(注)をまとって競輪界をリードする立場。「モチベーションの高さが成績に表れていると思う。今後もこの活動を継続していけるように」と昨年以上の活躍を誓った。

 式典には元競輪選手の山田裕仁氏とJRA・矢作芳人調教師も参加した。山田氏は「競輪界を代表して頑張っている浅井君の活動を知り、自分も協力したいと思った」と30万円の目録 を贈呈。矢作氏とともに今年からの活動参加を表明した。ジャンルの枠を超えた愛の輪は、まだまだ広がっていく。

 ≪これまで車椅子500台以上寄贈≫「Ring of red―赤星憲広の輪を広げる基金」は赤星氏の社会貢献をより広げるため、引退後の10年にスポニチ本紙などのサポートで設立。車椅子寄贈と野球の底辺拡大を目指し、少年野球の普及活動にも力を注ぐ。現役時代は盗塁成功につき車椅子1台、計301台を寄贈。引退後も216台を寄贈してきた。

 ◆浅井 康太(あさい・こうた)1984年(昭59)6月22日、三重県生まれの31歳。現役競輪選手。05年7月に90期としてプロデビュー。11年の寛仁親王牌、オールスター競輪(ともにG1)を優勝。昨年12月にはKEIRINグランプリ15を制して輪界の頂点に。11年12月からスポニチロゴ契約を結ぶ。座右の銘は“為(な)せば成る”。1メートル79、77キロ。血液型O。

 ◆赤星 憲広(あかほし・のりひろ)1976年(昭51)4月10日生まれ、愛知県出身の39歳。大府、亜大、JR東日本を経て00年ドラフト4位で阪神入団。1年目から外野のレギュラーで活躍し、01年新人王のほか05年まで5年連続で盗塁王を獲得。03、05年の2度のリーグ優勝に貢献した。ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞6回。09年の引退後はスポニチ評論家を務める。通算成績は1127試合、打率・295、3本塁打、215打点、381盗塁。右投げ左打ち。

 ◆山田 裕仁(やまだ・ゆうじ)1968年(昭43)6月18日、岐阜県生まれの47歳。G1・6勝、KEIRINグランプリを3回制した競輪界のレジェンド。14年3月、第67回日本選手権を最後に引退。G1、グランプリでスポニチにコラム「帝王の車券・競輪愛」を掲載中。長女は元SKE48の山田澪花(れいか)さん。

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