【山本譲二 我が道24】内なる自分に問いかける「オヤジだったら、どうするだろうか?」

[ 2026年4月25日 07:00 ]

高尾山薬王院節分会でオヤジと威勢良く豆をまく
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 2006年10月4日。東京・新高輪プリンスホテル「飛天」で盛大に開催された「北島三郎芸道45周年パーティー」の終盤、お礼のあいさつに立った北島のオヤジの口から予想外の言葉が飛び出しました。「私の長男の龍に事務所を継がせ、ファミリーの長男の山本を来年からのれん分けさせることを決めました」といきなり宣言したのです。前半部分は「そろそろ、そういう時期だろうな」と人ごとのように聞いていましたが、次に自分のことが出てくるとは思ってもいませんでした。

 さかのぼること10年ほど前、八王子のオヤジの自宅に行って「北島事務所の傘の中で、山本が自分の事務所を持つというのはどうでしょうか」と相談したことがありました。押しかけ弟子入りしてから、20年以上の歳月が過ぎていました。仲の良い吉幾三や前川清さん、鳥羽一郎ら演歌歌手の仲間は既に「自分の城」を持っていました。そんな焦りみたいなものがあったのかもしれません。オヤジからは「うん、そうした方が良いな。でも、お前が独立することはオレの口から言わせろよな」と言われました。その「オレの口」が、このタイミングだったのです。でも突然言われて、困りました。

 オヤジから「社員は何人でも連れていっていいぞ」と言われましたが、自分の稼ぎだけで事務所を賄う以上、多額の人件費を抱えるわけにはいきません。当時のマネジャーと2人だけの旅立ちでした。事務所の名前すら決まっていません。親友の吉に相談すると「ウチの事務所は吉プロモーションだよ」と言われました。「だったら、ジョージ・プロモーションでいいか」と即決しました。それでも、事務所をどこに置くべきかから始まり、社員の厚生年金と言われても全く分かりません。困り果てて、女房の悦子に手伝いを頼み込みました。

 ほとんどの事務業務は悦ちゃんとスタッフに丸投げ状態で、07年1月1日に事務所をスタートしました。以後19年もたちますが、事務所に顔を出すのは月に1回ぐらいと、非常に不真面目な社長です。

 独立して以降、金銭も含めて仕事などは、北島音楽事務所から直接的な援助は受けていません。しかし、精神的な部分でオヤジとつながっている部分は非常に大きいです。何か決断しなければならない立場に立たされると「オヤジだったら、どうするだろうか?」と、内なる自分に問いかけることにしています。人間ですから、腹が立つことや悔しい思いをすることもたくさんあります。そんな時「オヤジだったら、こんなことで怒ったり、取り乱したりしないだろう」と自分に言い聞かせます。

 学校でも教わらないような、人間として生きていく上で大切なことは、全て北島のオヤジと北島音楽事務所から学んだと思っています。それはお金を出しても買えない、貴重な経験だったと感謝しています。

 ◇山本 譲二(やまもと・じょうじ)本名同じ。1950年(昭25)2月1日生まれ、山口県下関市出身の76歳。早鞆高3年の67年、夏の甲子園出場。74年に「伊達春樹」として「夜霧のあなた」で歌手デビュー。北島三郎に師事し、78年「山本譲二」として再デビュー。80年発売の「みちのくひとり旅」が81年にかけてロングヒット、ミリオンセラーに。NHK「紅白歌合戦」に計14回出場。

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