小久保裕紀監督「女手一つで」育ててくれた母の職業明かし思い出語る 「絶対傷つく」も言ってしまった言葉

[ 2026年3月12日 18:33 ]

ソフトバンク・小久保裕紀監督
Photo By 代表撮影

 プロ野球ソフトバンクの小久保裕紀監督(54)が12日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)にゲスト出演。母・利子さんについて語った。

 司会の黒柳徹子から「女手一つでお母さまが育ててくださった」と明かされ、小久保監督は「薬剤師をしていました」と打ち明けた。

 「弟がいるんですが、(自分と弟)2人共青山学院大学、私学に入れてもらって。それは本当に母の、女手一つで育てて、大学を出させられないといけないという母の強い思いがあって、大学を勧められてですね。2人共無事に青山学院大学を卒業することができました」と感謝した。

 だが一度だけ、母を傷つけることを言ったという。「野球を始めたばかりのまだ6歳」の頃だったが「強烈に印象に残っています。これ言ったら、絶対母が傷つくのを分かって言った言葉なんで」と振り返った。

 当時は「野球が辞めたかったんですね、怖くて」との思いがあり、「勝手に野球を始めさせて、俺を今からお父さんのところへ戻せ!」との言葉をぶつけたとした。

 「これは絶対傷つくと思っているんですけれども、それぐらいグラウンドに行きたくなかったんですよ。嫌だったんですよ」。その際母からは「男が一度やるって言ったことは、最後までやり通しなさい!」と言い放たれ、車に乗せられ、グラウンドに連れていかれた。

 「その日がなければ、野球を続けていないんですよね」と小久保監督。「それは本当に6歳の子供なんですけれども、なんてことを言ったんだっていうのが、今の大人になっても残ってしまっていて」と悔やんだ。

 母は2017年に70歳で他界したが「母との思い出はたくさんあります」としみじみ。「がんだっていうのがかなり前に分かったので、母を連れて秋田の温泉に行ったり、あとは自分自身の行きたい場所に、母を連れていくっていう」と回顧し、「最初行ったとき凄く緊張して。間が持つかなあっていう心配がありますよね。でも旅行を重ねるにつれて、どんどん慣れてきてですね」と懐かしんだ。

 能舞台上での母と和装姿の自身のショットも披露し、「僕引退してから能を習ったんですね、5年間」と言い、最初の仕舞で「田村」を舞ったが、「その時に母を福岡に招待して。仕舞を見てもらったんですけれど」と声を弾ませた。

 「母も能に興味があって、(故郷の)和歌山でも能を見ていたんで、思い出に。舞台を見てもらいました」と目を細め、「がんだって分かっていたがゆえに、その前に過ごした時間がたくさんあって。結構思い出がたくさんあって良かったなと思いましたね」とも語った。



 

 

 

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