「どうする家康」忠勝・山田裕貴が日々模索「台本を超え、役を生きる」叔父上との別れ「幼少期の映像が…」

[ 2023年11月18日 13:50 ]

「どうする家康」本多忠勝役・山田裕貴インタビュー(1)

大河ドラマ「どうする家康」第18話。叔父上・本多忠真との別れに、本多忠勝(平八郎)(山田裕貴)は…(C)NHK
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 嵐の松本潤(40)が主演を務めるNHK大河ドラマ「どうする家康」(日曜後8・00)も残り5回。天下分け目の大戦「関ヶ原の戦い」(慶長5年、1600年)に勝利し、19日放送の第44回「徳川幕府誕生」で最終章の幕が上がる。徳川四天王の1人、本多忠勝(平八郎)役も老境へ。初回(1月8日)から忠勝役を好演している俳優の山田裕貴(33)に撮影の舞台裏を聞いた。

 <※以下、ネタバレ有>

 「リーガル・ハイ」「コンフィデンスマンJP」シリーズなどの古沢良太氏がオリジナル脚本を手掛ける大河ドラマ62作目。弱小国・三河の主は、いかにして戦国の世を生き抜き、天下統一を成し遂げたのか。江戸幕府初代将軍を単独主役にした大河は1983年「徳川家康」以来、実に40年ぶり。令和版にアップデートした新たな家康像を描く。古沢氏は大河脚本初挑戦。松本は大河初主演となった。

 本多忠勝は生涯戦うこと57回、かすり傷一つも負わなかったと謳われる戦国最強武将の1人。大高城への兵糧入れに成功したものの、「桶狭間の戦い」(永禄3年、1560年)で「今川義元(野村萬斎)討たれる」の報に逃走した松平元康(徳川家康)(松本潤)を浜辺から連れ戻した。元康が岡崎・大樹寺で切腹を試みた際には、介錯を申し出。「俺の真の望みは、いつの日か、お主を主君と仰ぎ、お主を守って死ぬことであったわ」と吐露した。

 同じ天文17年(1548年)生まれの榊原康政(小平太)(杉野遥亮)とは“平平コンビ”として家康を支えた。初回の兵糧入れから第43回(11月12日)の関ヶ原まで、最も長く家康と戦を共にした家臣となった。

 初回のラスト。織田信長(岡田准一)襲来に、家臣団が口々に「どうするだぁ?」「いかがなさる」「殿!お指図を!」と決断を迫る中、忠勝は「(主君などと)俺は認めぬ」。山田のアドリブだった。

 「(一連のシーンは)カットがかからなくて、何だか言いたくなっちゃったんですよね(笑)。まさかオンエアに使われるとは思っていませんでした。台本に書かれていることを演じている間は、僕の中では『お芝居をしている』なんですけど、台本を超えることができた瞬間から『役を生きている』に変わるんですよね。このシーンもそうでしたが、これが自分の一番やりたいことなので。日々、『明日、どう役を生きられるか』と模索していました」

 “主君と認めぬ”発言は「小牧・長久手の戦い」(天正12年、1584年)を前にした第31回「史上最大の決戦」(8月13日)でもリフレイン。忠勝と家康の関係性、絆の象徴となった。「古沢さんが『これが山田くんの忠勝なんだね』という感じで、僕の演技やアドリブを脚本に反映し続けてくださった気がして、本当にありがたかったですね」と感謝した。

 “役を生きた瞬間”としては第18回「真・三方ヶ原合戦」(5月14日)、叔父・本多忠真(波岡一喜)との別れも忘れられない。

 “酔いどれサムライ”忠真は酒を浴びながら奮戦。忠勝が「叔父上を置いてはいかぬ」と前に出ると「おめえは本当にあほたわけじゃの!おめえの死に場所は、ここではねえだろうが!おめえの夢は、主君を守って死ぬことじゃろうが!」。拳を一発入れ「(家康が)好きなんじゃろうが!殿を守れ。おめえの大好きな殿を。行け、平八郎」と甥を抱き締めた。

 2人でシーンを練り上げ、台本にはなかった殴る動きが生まれた。

 「それが忠勝にとって最初で最後の(かすり)傷にしようと考えました。そして本番当日、波岡さんがさらに台本にない抱き締めるくだりを増やしてくださって、その瞬間、演じてもいない叔父上との幼少期の映像が、走馬灯のように頭の中に流れ込んできて、駆け巡る感覚になったんですよね。不思議な体験でしたけど、ここまで到達できたのも、役を生きられたからこそだと思っています」

 =インタビュー(2)に続く=

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