高橋幸宏さん死去 海外から“逆輸入”YMO シンセサイザー駆使、ゲームの「ピコピコ音」取り入れ

[ 2023年1月15日 02:15 ]

1979年12月、凱旋コンサートを前にインタビューを受ける(左から)坂本龍一、高橋幸宏さん、細野晴臣。80年代にテクノブームを巻き起こした
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 YMOは、音楽プロデューサー村井邦彦氏(77)が設立した「アルファレコード」に「はっぴいえんど」でベースを担当していた細野をプロデューサーとして招いたことから始まった。細野にはホワイト(白人音楽)でもブラック(黒人音楽)でもなく、シンセサイザーを駆使したイエロー(東洋人)独特のサウンドを作りたいとの構想があり、自宅で高橋さん、坂本に話して賛同を得たことでYMO結成となった。

 当初ドラマーは高橋さんではなかった。細野も所属していた「ティン・パン・アレー」の林立夫(71)の予定だったが、林が参加しなかったことから、細野が大学時代から知っていた高橋さんが加わった。坂本は、日本シンセサイザー音楽の草分けだった冨田勲さんの推薦だった。

 YMOはシンセサイザーを大胆に使い、当時流行しだしたアーケードゲームの「ピコピコ音」なども取り入れた革新的作品を発表。初めから世界市場に照準を合わせ、無国籍で歌詞もほとんどないインストゥルメンタルが中心で、結成翌年から2年連続で世界ツアー。海外で人気が出て、日本に逆輸入された。

 コンピューターのリズムに合わせてドラムを叩く。ともするとドラマーとしての存在感を否定されかねないが、高橋さんは黙々と、正確に、その役割をこなした。YMO以前に「サディスティック・ミカ・バンド」のメンバーとして海外公演を成功させていたこともあり、YMO海外進出の“精神的な柱”でもあった。

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