伊武雅刀 「いい声」評価は「コンプレックスだった」 国民的アニメ出演で感じた役の人気ぶり

[ 2022年9月4日 17:10 ]

伊武雅刀
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 俳優の伊武雅刀(73)が3日放送のBS日テレ「おぎやはぎの愛車遍歴 No Car,No Life」(土曜後9・00)にゲスト出演。「宇宙戦艦ヤマト」に出演するなど声優としても活躍したが、かつては「声の良さ」がコンプレックスだったと明かした。

 テレビデビューは17歳。「ちょっと素行が悪くて、東京から名古屋の学校に入り直したことがあったんですよ。その時ドラマのオーディションを受けて。NHKの『中学生日記』というのがあったんだけど、3年間だけ『高校生日記』っていうのがあって、それに不良役で受かって。レギュラーでやってたのが一番最初」と回想した。

 子供のころから映画が好きで俳優を目指していたという伊武。「『劇団雲』養成所に入って、大好きだった山崎努さんとか文学座からだーっと抜けた人がキラ星のごとくいて。俺もここに入れば、その仲間に入れると甘い考えで。養成所にいたんだけど、1年目でいきなり貼り紙に『当所において右の者退団を命ず』ってクビですよ。素行も悪かったんだけどね、ギリシャ悲劇とかシェイクスピアとか読まされて、そんなもん読まされて俺の映画俳優の道はどこにあるんだよって」と素行不良がなおらず、クビになってしまった。

 「そこで新宿の飲み屋とかで知り合った人と集まって劇団作ったんですよ。自分たちで切符を売って、年に2回くらい公演して、公演ない時はアルバイトして。そんな最中に声がいいと。俺は劇団の主宰者から、“キミは声『は』いいけどね”って言われてて、どっちかっていうとコンプレックスだったんだよね。声は人が言うほど、自分の武器だと思ってなかった」と当時の心境を明かした。

 そんな中で声の良さを買われ、1974年、25歳の時に「宇宙戦艦ヤマト」でデスラー総統役を演じた。「俺、アニメーションってほとんどやったことがなかった。絵が全部できてるわけじゃなかったんだよね、赤い印が終わるまでにセリフをおさめてくれとか。だから『ヤマトの諸君、また会えてうれしいよ』とか言っても、とっくに(尺が)終わってるの。だけど、自分の間を無視すると味が出ない。そしたらプロデューサーが“画延ばすから好き勝手やっていいよ”って言ってくれて、やりやすかった」と懐かしんだ。

 「当時は劇団にも入ってたから。ものすごい人気があってね!デスラーって。バレンタインデーに山ほどチョコレート来たの。“そうとう”来ましたよ!」とダジャレを交えて笑いを誘っていた。

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2022年9月4日のニュース