服飾評論家の市田ひろみさん死去 90歳、急性呼吸不全 サントリー緑茶CMの「京女」で人気

[ 2022年8月8日 05:00 ]

1日、90歳で亡くなった市田ひろみさん
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 サントリーの缶入り緑茶CMなどで人気を博した服飾評論家の市田ひろみ(いちだ・ひろみ)さんが1日午後5時50分、急性呼吸不全のため京都市内の病院で死去した。90歳。大阪府出身。葬儀・告別式は近親者で4日に済ませた。喪主は弟昌生(まさお)さん。お別れの会については未定。

 関係者によると、市田さんは昨年8月までコラム執筆の仕事などをしていたが、自宅で転倒し、股関節骨折で3カ月間入院していた。昨年12月に退院後は、1人住まいが困難になったため施設に入所。リハビリをしながら車椅子で生活していた。今年初めにも仕事場に顔を出し、元気な姿を見せていたという。

 1日は午後4時ごろまで施設で家族と電話で話していた。その後、体調が急変。病院から連絡があり昌生さんらが駆けつけたが、亡くなった。持病などはなかったという。市田さんのスタッフも「前日まで普通にしていたと聞いているのでぼう然としています」と突然の出来事に驚きを隠せずにいる。

 市田さんは大阪で会社員として働いた後、1950年代後半から大映に所属し女優として活動した。5年間の活動期間で約30本の映画に出演。その美貌から“日本のソフィア・ローレン”とも評された。女優引退後は母から受け継いだ美容室を経営する傍ら、着物教室も主宰。海外で着物ショーを開催し、世界100カ国以上の民族衣装の収集も行っていた。

 ブレークのきっかけは、90年代に出演したサントリーの缶入り緑茶のCM。和装で「まあ、お茶でも…。新幹線?待たしといたらよろしいがな」などと京言葉でまくしたてる姿が人気となり、「京女」の象徴的な存在となった。93年4月には「CM好感度1位」にランクインした。

 人気者になって以降も、月に50本の講演をこなすなど精力的に活動。着付けやマナーについて多数の著書も出版した。日本の伝統を国内外に発信する活動をする一方、大阪証券取引所(現・大阪取引所)の社外取締役や近鉄百貨店の顧問を務めるなど、ビジネスウーマンとしても活躍した。

 《洞爺湖G8サミットで十二単着付け方披露》世界100都市以上で日本文化を伝える活動を続けてきた市田さん。2008年に開催された北海道・洞爺湖G8サミットでは各国首脳夫人の前で十二単(ひとえ)の着付け方などを披露した。自作の詩書を縦1.5メートル、横5メートルのパネルに書く実演も行った。「ふるさと あかと きいろと しろの もざいくのような 雲があった 遠い日」。その書をブッシュ元米大統領のローラ夫人が大絶賛したため、市田さんは同じ書を書き直してホワイトハウスに郵送。その後、ローラ夫人から「立派な筆跡の美しい詩をどうもありがとう」と返事が届いたという。凜(りん)としたたたずまいで正しい文化を知らせる姿に、ファーストレディーも共感した。

 ◇市田 ひろみ(いちだ・ひろみ)1932年(昭7)7月10日生まれ、大阪府出身。53年に京都府立大女子短期大学部国文科卒業後、ヤンマーディーゼルに入社し秘書を務める。その後大映に所属。57年「夜の蝶」などに出演し、63年の「暗黒街NO.1」で女優業を引退。服飾研究家の肩書で活動開始。01年には「現代の名工」に選ばれた。CMでブレーク後はテレビ朝日「京都迷宮案内」などミステリードラマにも出演。

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