舟木一夫 西郷輝彦さんは「宝物」 訃報から一夜明けても「“もう会えないんだ”という実感ない」

[ 2022年2月23日 05:30 ]

西郷輝彦さんとの思い出を涙ながらに語った舟木一夫
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 前立腺がんのため20日に75歳で死去した歌手で俳優の西郷輝彦さんの訃報が発表されてから一夜明けた22日、1960年代に歌謡界の「御三家」としてともに活躍した舟木一夫(77)が思いを語った。宇都宮市での公演前に取材に応じ「“もう会えないんだ”という実感がまだない」と死を受け入れがたい様子だった。

 「しのぎを削った人というのは、何十年たっても宝物なんだよね。かけがえのない…」。声を詰まらせると、涙がこぼれないように手で目を覆った。

 2歳年下の後輩の死の衝撃は大きく、午前4時まで寝付けなかった。「彼とのことを思い出そうとするんだけど、ピントがズレちゃって。悲しい、寂しいという感情ではなく、体の中からスッと何かひとつ持っていかれたよう」と現在の心境を表現した。

 2018年に西郷さんから「55周年公演を手伝って」と連絡を受け「喜んで」と出演を引き受けた。それから2、3カ月に1回は電話があったが、連絡が途絶えた。「昨年5月に電話したら、テルさんは“オーストラリアにいるんだよ”って笑っていた」。これが最後の会話だった。

 同地で最先端のがん治療を受けていた西郷さんは「8月に日本に帰るから、必ず一報を入れる」と約束した。だが、舟木が心待ちにしていた電話は来なかった。「良い方向には解釈できなかった。きっと今も東京に戻って闘っていると思ったので、電話しませんでした」
 最後に会ったのは20年12月。半世紀以上の盟友ながら、初めて2人で食事をした。東京・赤坂で中華料理を食べながら「“今思えば、俺たちライバルじゃなかったね”と異口同音だった。“先輩たちに負けないよう、若手が固まりになって突進してたんだね”って」。橋幸夫(78)を含めて御三家と呼ばれたが「僕は2人だけに負けたくないとは思ったことがない。誰にも負けたくなかった。若さで走っていた」。懐かしそうに振り返った。

 20年の西郷さんの55周年公演はコロナ禍で中止となった。「“コロナの野郎”と悔しがっていた」といい、最後の共演は実現しなかった。舟木の深い喪失感はまだ続きそうだが「落ち着いたら眠っている場所に行って“お疲れさん”と声をかけたい」。そう言って天を見上げた。

 《観客&「プラスワン」にささげた「高校三年生」》この日は自身の芸能生活60周年を記念したコンサートツアーの栃木公演を行った。

 「来てくださったお客さん、プラスワンという思いで歌えたら」。客席に西郷さんの姿を思い浮かべてステージに立った。

 トークで訃報に触れることはなく「高校三年生」など数多くのヒット曲を披露した。ツアーは年末まで続く。

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2022年2月23日のニュース