石原慎太郎氏89歳死去 作家と政治家の2つの顔で昭和、平成、令和と時代をまたぎ存在感 弟に裕次郎さん

[ 2022年2月1日 14:43 ]

弟・裕次郎さん(右)から応援を受ける石原慎太郎氏(1975年)
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 芥川賞作家で東京都知事や衆参両院議員を歴任した石原慎太郎(いしはら・しんたろう)氏が1日、死去した。89歳。兵庫県出身。2013年に軽い脳梗塞を発症したが、14年の政界引退後も精力的に執筆活動を続けた。翌15年2月に再び脳梗塞を発症してリハビリを続けていた。差別的発言で物議を醸すことも少なくなかった。「『NO』と言える日本―新日米関係の方策―」など多くの著書を残した。

 作家と政治家の2つの顔で、昭和、平成、令和と時代をまたいで存在感を示してきた石原氏が静かに逝った。

【一橋大学在学中の1956年「太陽の季節」が第34回芥川賞受賞】

 一橋大学在学中の1956年、「太陽の季節」が第34回芥川賞を受賞。無軌道な若者の生態をリアルに活写した作品は生々しい性描写や反倫理的な内容が賛否両論を呼び起こした。同作は映画化もされ、「太陽族」という流行語も生んだ。

 その後も「処刑の部屋」(56年)、弟の石原裕次郎を主役に映画化された「狂った果実」(56年)、「亀裂」(58年)、「化石の森」(70年)などを次々に発表し、人気作家となった。

 政治家への転機はベトナム戦争を取材したのがきっかけ。政治に興味を抱き、68年の参院選挙全国区に自民党から立候補。史上最高の301万票を獲得してトップ当選を果たした。72年には参院議員を辞職し、衆院選挙に旧東京2区から無所属で出馬し当選した。

【環境庁長官、運輸大臣歴任、89年には自民党総裁選に出馬も】

 73年には田中角栄による日中国交正常化に反対し、反共を旗印に政策集団「青嵐会」を結成。75年、東京都知事選に立候補し、美濃部亮吉の革新都政に挑戦したが、惜敗。翌76年の衆院選で国政に復帰した。福田赳夫内閣で環境庁長官として初入閣を果たした。

 87年には竹下登内閣で運輸大臣に就任。89年に亀井静香、平沼赳夫らに推される形で自民党総裁選に出馬したが、経世会が推薦する河本派の海部俊樹に敗れた。95年の衆院選で旧東京4区で長男の伸晃が初当選し、父子そろっての衆院議員となった。同年4月14日、議員在職25年の表彰を受けての衆議院本会議場での演説の中で「日本の政治はダメだ。失望した」と発言し、議員辞職した。この年から12年まで芥川賞の選考委員を務めた。

【「日本の政治はダメだ。失望した」議員辞職の4年後都政へ】

 議員辞職から4年後の99年4月、東京都知事選に出馬して初当選。03年、得票率で史上最高の70・21%を獲得して再選され、07年にも281万票を得て3選。11年に都知事選4選を果たした。この頃、東日本大震災と福島第1原発事故への対応を巡る民主党政権の混乱の中で、「次の首相」候補として名前が取り沙汰された。

 そんな状況下の12年、猪瀬直樹氏を後継に指名して都知事を辞職した。同年、日本維新の会の代表に就任して国政に復帰。自主憲法の制定を強く訴えた。同党の大阪系の議員との間で政策や党運営をめぐる対立があり、同年5月28日付で分党を表明。8月1日に平沼赳夫を党首とする新党「次世代の党」を発足させ、最高顧問に就任した。

 14年11月の衆院選に「次世代の党」から比例順位最下位の9位で東京ブロックに立候補して落選。12月16日に会見を開き、政界引退を表明した。「歴史の十字路で何度か自分の身をさらして立つことが出来たことは政治家としても物書きとしてもありがたい経験だった」と述べた。
 
 豊洲市場の移転問題を検証する東京都議会の調査特別委員会(百条委員会)が17年3月20日に開かれ、移転を決めた石原氏に対する証人喚問が行われた。「担当に任せており、詳細はわからない」「記憶にございません」と質問を一蹴。この冒頭で「2年前に患った脳梗塞の後遺症で、記憶を埋蔵している海馬という部分がうまく働かない。ひらがなも忘れた」と述べ、質疑を前に当時の記憶が不鮮明なことをわびた。

【小池百合子候補を「大年増の厚化粧がいるんだな、これが」】

 歯に衣着せぬ物言いが売り物だが、時にその発言が物議を醸すことも少なくなかった。

 75年、初の都知事選出馬の演説で、対立候補で当時71歳だった美濃部亮吉について「もう新旧交代の時期じゃありませんか。美濃部さんのように前頭葉の退化した60、70の老人に政治を任せる時代は終わったんじゃないですか」と挑発。

 環境庁長官時代の77年4月には熊本県の水俣病患者施設で患者から抗議文を手渡され「書いたのはIQ(知能指数)の低い人たちでしょう。(それにしては)しっかりした文章というか、あるタイプの文章だ」と発言した。

 99年3月の都知事選出馬会見では中国を「シナ」と呼び続け、のちに撤回に追い込まれた。翌4月の知事就任会見でも中国について「台湾を武力解放するとか不安でたまらない」と述べ、国内外で波紋を呼んだ。

 00年4月9日には陸上自衛隊練馬駐屯地で行われた創隊記念式典に出席し、あいさつの中で多発する外国人犯罪に絡み、差別用語とされる「三国人」との表現を使い、外国人蔑視ともとられかねない発言をして問題となった。

 さらに16年の東京都知事選に立候補した増田寛也氏の決起集会に参加し、小池百合子候補を「大年増の厚化粧がいるんだな、これが」と発言し、次男の石原良純がテレビの情報番組で謝罪する一幕があった。

【弟の裕次郎さんを題材にした小説「弟」(96年)は120万部】

 弟の裕次郎を題材にした小説「弟」(96年)は120万部を売り上げて、毎日出版文化賞特別賞を受賞。69年に書いた「スパルタ教育」は70万部、盛田昭夫氏との共著「『NO』と言える日本」(89年)は125万部、「老いてこそ人生」(02年)は82万部、そして田中角栄を主人公につづった小説「天才」(16年)も92万部のベストセラーとなった。

 「太陽の季節」「狂った果実」「化石の森」「錆びたナイフ」「乾いた花」など映画化された著作も多く、58年の東宝「若い獣」では監督も務めた。07年には“特効の母”と呼ばれた鳥濱トメさんと特攻隊員の交流を描いた「俺は、君のためにこそ死ににいく」で製作総指揮、脚本も担当した。

【長男・伸晃、次男・良純、三男・宏高、四男・延啓】

 サッカー、ヨット、テニス、射撃など趣味は幅広い。実弟は国民的スターの石原裕次郎、長男は自民党前衆院議員の石原伸晃、次男は俳優、タレント、気象予報士の石原良純、三男は自民党衆院議員の石原宏高、四男は画家の石原延啓。

【文藝評論家の江藤淳は湘南高校の同級生、三島由紀夫と交流】

 文藝評論家の江藤淳は湘南高校の同級生。三島由紀夫とも交流があり、92年から99年まで三島由紀夫賞の選考委員を務めた。2011年11月21日に死去した落語家の立川談志(享年75)との長い付き合いも有名だった。(一部敬称略)

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