大河「麒麟がくる」は未完のミステリー

[ 2021年2月8日 12:00 ]

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」最終回の明智光秀(長谷川博己)(C)NHK
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 【牧 元一の孤人焦点】7日に最終回の放送を終えたNHK大河ドラマ「麒麟がくる」はやはりミステリーだった。

 描かれた時代は戦国の世。主人公は実在の人物で、物語の主な流れは史実。基本的には歴史ドラマ、時代劇だ。しかし、昨年1月に放送がスタートし、織田信長(染谷将太)が登場した後、しばらく見続けていくうちに、このドラマはミステリーだと思い始めた。

 明智光秀(長谷川博己)は最後に本能寺の変を起こす。事件と犯人は明確だ。だが、光秀がなぜ信長を殺すことになるのか、その動機は分からない。光秀の動機には、さまざまな仮説が存在するからだ。脚本家の池端俊策氏がどの仮説を採用するのか、それとも、新説を打ち立てるのか。それを推理することが、このドラマを見続ける楽しみのひとつになった。

 私の推理は残念ながら外れた。物語で描かれる光秀の性格、信長との関係性を考えれば信長のパワハラに対する怨恨(えんこん)ではないことはすぐに想像できた。物語のタイトルの「麒麟がくる」に準じる動機、つまり、平和の世を作るための動機であることも想像できた。だとすれば、最も有力と思えるのは「戦争拡大の阻止」。歴史的に考えると、信長が四国攻めを決行しようとしたことが光秀を本能寺の変へと向かわせると推理した。

 確かに、最終回で、四国攻めの話は出てきた。しかし、それが動機ではなかった。結果として「天皇の譲位」「光秀を含む家臣への対応」など複合的なものではあったが、池端氏が主因として描いたのが「将軍殺害命令」。これまで仮説として読んだことのない、目新しい動機だった。池端氏は「光秀の心情に触れることを原因にしたかった」と語っている。

 実際に最終回を見ると、この動機に納得がいった。物語の中でかねて「将軍」「幕府」に対する光秀の深い思いが丁寧に描かれてきたからだ。信長から、その将軍を殺せと命じられれば、逆に信長を殺さざるを得なくなるだろう。それは自然な流れに思えた。私の推理は外れたものの、このミステリーはよくできていると実感した。

 ところが、ミステリーはそこで終わらなかった。光秀が生きていると思わせる場面があったからだ。池端氏は「歴史上は討たれたことになっているが、死骸をはっきり見た人はいない。いろんな説があって、関ケ原の戦いの頃まで生きていたという説もある。ありうることなら、生かしたいというのが私の気持ち」と話している。放送では最終的に光秀の生死が明確になっておらず、本当に生きているのか、やはり死んでしまったのか、謎が残る形となった。その謎は解きたい。

 物語の結末としても、知りたいことがいくつかある。一つは、友情のあった信長を討った光秀の思いだ。いくら大義のためとはいえ、友人を殺してしまえば、その後の心の中は尋常ではないだろう。もう一つは、本能寺の変の後に動かなかった細川藤孝(眞島秀和)や筒井順慶(駿河太郎)らの考えだ。すでに豊臣秀吉(佐々木蔵之介)の手が回っていたのか、謀反を起こした人間には同調できないと思ったのか。そして、帰蝶(川口春奈)のその後だ。光秀には「(斎藤道三ならば)毒を盛る。信長さまに」と言ったものの、本当に夫を亡くしてしまえば、強い衝撃を受けるだろう。光秀が生きていれば、再び帰蝶に会おうとするに違いない。

 主演の長谷川は「この後どうやって光秀は江戸幕府をつくったのか。それができたら僕も幸せ」と、続編もしくは番外編への思いを明かしている。脚本の池端氏は「今は長いものを書き終えて、少し離れたい気持ちだ」と語っているが、遠くない未来にNHKが試みれば制作の可能性はゼロではないだろう。

 このドラマは未完のミステリー。「麒麟」ロスより、再制作への期待の方が強い。

 ◆牧 元一(まき・もとかず) 編集局デジタル編集部専門委員。芸能取材歴30年以上。現在は主にテレビやラジオを担当。

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