石原慎太郎氏 なかにし礼さん悼む「才能ある人だった」 一番好きな歌は「石狩挽歌」

[ 2020年12月26日 05:30 ]

直木賞を受賞し石原慎太郎氏に祝福される、なかにし礼さん
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 作詞家で直木賞作家のなかにし礼さんが82歳で他界したことをスポニチ本紙が報じた25日、親友で先輩作家の石原慎太郎氏(88)は「才能のある人だった」と悼んだ。遺族によると、なかにしさんは23日午前4時24分、都内の病院で死去。死因は心筋梗塞だった。葬儀は近親者で執り行い、後日お別れの会を開く予定。喪主は妻由利子(ゆりこ)さん。

 なかにしさんの作詞家への転機となった故石原裕次郎さんの兄で、創作活動における最大の理解者だった慎太郎氏。本紙の取材で悲報を知り、ショックでしばらく言葉を失った。「親しい友人で才能のある人だった。半世紀以上の付き合いですから…。とにかく驚いた」と明かした。

 出会いのきっかけは裕次郎さん。63年、静岡県・下田のホテルで一組のカップルに偶然目を留め、酒を1杯ごちそうした。それが、なかにしさん夫妻だった。シャンソンの翻訳をしているというなかにしさんに「自分で作詞をしてみろ」と勧めた、その一言が人生を変えた。

 慎太郎氏との交流も始まり、00年の直木賞の受賞の瞬間は共に迎えた。「控室で一緒に待っていた。決まった時は抱き合って喜んだ。あの時の彼の笑顔は今も覚えている」

 作家と作詞家。同じ言葉の表現者として認めていた。「シャンソンの翻訳をしていたのでフランス語に堪能。それがしゃれた文句につながった」。短い言葉と独特のリズムと表現で、情景を活写する卓越した才能。慎太郎氏が一番好きな歌は「石狩挽歌」という。

 「素晴らしい歌。僕も長く北海道にいたからね」。慎太郎氏も幼少期を小樽で過ごしている。同曲は、兄の事業失敗で赤貧時代を過ごしたなかにしさんの原体験。「彼も幼い頃はひどい目にあったようだ。お兄さんが財産を食いつぶして苦労した」と、波瀾(はらん)万丈の分厚い人生が創作活動の根底にあることに思いを寄せた。

 「同年代の物を書く人が減った。私ももうすぐ行きますから」。最後にもう一度会いたかった。その思いが言葉にあふれ出ていた。

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