萩原健一さん死去 裕也さんに続き“アウトロー”がまた…

[ 2019年3月29日 05:30 ]

内田裕也さん(右)とも親交があった萩原健一さん
Photo By スポニチ

 「ショーケン」の愛称で親しまれ、ドラマ「傷だらけの天使」「前略おふくろ様」などで活躍した俳優の萩原健一(はぎわら・けんいち、本名敬三=けいぞう)さんが26日午前10時30分、消化管間質腫瘍のため都内の病院で死去した。68歳。埼玉県出身。葬儀・告別式は27日に近親者で行った。17日に亡くなった内田裕也さん(享年79)に続く芸能界の“暴れん坊”の悲報に衝撃が走った。

 萩原さんは2011年から闘病。本人の強い希望で病名の公表を控えていた。体調が急変したのは25日。自宅で倒れ、救急搬送された。26日に夫人でモデルの冨田リカ(57)に見守られ、静かに最期を迎えた。

 倒れる前日の24日、冨田はブログに夫妻がジムでトレーニングする写真を掲載。バランスボールに乗る萩原さんは、しっかりした表情を見せていた。冨田は「最期はとても穏やかで安らかに、ゆっくりゆっくり、眠るように息をひきとりました」と明かした。お別れの会や偲(しの)ぶ会を行う予定はない。

 萩原さんは18日、70年代から親交のあった内田さんの訃報に接してコメント。「近々、企画書を持って裕也さんと共演することを楽しみにしていましたが、奥さま(樹木希林さん)のご不幸があり、タイミングを逸しました」。無念さをにじませたが、すぐ後を追うように逝ってしまった。

 希代の暴れん坊だった。本名は敬三だが少年時代、なぜか「ケンちゃん」と呼ばれた。当時の不良仲間で「ダイケン」「チューケン」「ショーケン」と大・中・小の流れで呼び分けたのがニックネームの由来になった。

 中学時代に「ザ・テンプターズ」に加入すると、1967年に「ザ・スパイダース」の弟分バンドとしてデビュー。「エメラルドの伝説」などがヒットし、「ザ・タイガース」とGSブーム全盛期をけん引した。だが、当人は音楽性を好まず「一日も早くやめたい」と思っていたという。

 タイガースとはライバル関係で、ジュリーこと沢田研二(70)と人気を二分した。70年の解散後、その沢田や岸部一徳(72)らとロックバンド「PYG(ピッグ)」を結成。沢田とツインボーカルを組んだが、2人のファンが対立。PYGも1年ほどで消滅した。

 その後は俳優業へとシフトして成功を収めた。72年の映画「約束」が好評で、ドラマ「太陽にほえろ!」では最初に殉職した新人刑事マカロニ役を熱演。立ち小便の最中に通り魔に刺されて息絶える殉職シーンは注目を集めた。「傷だらけの天使」や「前略おふくろ様」などの主演ドラマが次々ヒットし、映画「八つ墓村」や「影武者」にも出演。絶頂期を迎えた。

 80年代以降は私生活でワイドショーをにぎわせた。数多くの女性と浮名を流し、モデル小泉一十三さん、女優いしだあゆみ(71)らと結婚。11年の冨田との結婚が4度目だった。大麻所持や恐喝未遂などで逮捕歴も多々あり、お騒がせ俳優の印象も強かった。

 昨年、NHKで放送されたドラマ「不惑のスクラム」にも出演。円熟味を感じさせる演技が話題を呼んでいた。

 《自宅応答なし》都内にある萩原さんの自宅マンション前には、訃報を受けて約30人の報道陣が詰め掛けた。インターホンを押しても応答はなく、周辺はひっそりと静まりかえっていた。マンションの住人の男性は「えっ、ショーケンさんが亡くなられたんですか」と驚いた様子だった。

 ◆萩原 健一(はぎわら・けんいち、本名敬三=けいぞう)1950年(昭25)7月26日生まれ、埼玉県与野市(現さいたま市)出身。鮮魚店に生まれ、幼少期から映画や音楽に触れて育つ。俳優としては、74年「傷だらけの天使」、75年「前略おふくろ様」などのドラマに主演。74年の映画「青春の蹉跌(さてつ)」で、キネマ旬報ベスト・テン最優秀主演男優賞を受賞。ソロ歌手で「大阪で生まれた女」「愚か者よ」などもヒット。

続きを表示

この記事のフォト

2019年3月29日のニュース