円楽「みんな歌丸師匠のおかげ」昇太「実感湧かない」小遊三「完璧でした」

[ 2018年7月7日 16:28 ]

「笑点」合同取材会に出席した三遊亭円楽
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 日本テレビの演芸番組「笑点」のレギュラーを長く務め、国民的人気を誇った落語家の桂歌丸(かつら・うたまる、本名椎名巌=しいな・いわお)さんが2日午前11時43分、慢性閉塞性肺疾患のため横浜市内の病院で81歳で死去した。訃報を受け、歌丸さんから司会を受け付いだ6代目司会の春風亭昇太(58)をはじめ、三遊亭円楽(68)、林家木久扇(80)、三遊亭小遊三(71)ら笑点メンバーが7日、番組収録の合間にそろって取材に応じ、歌丸さんへの思いを語った。

 歌丸さんと息のあった“バトル”が番組の名物だった円楽は病状悪化を聞きつけ、4月末に地方公演から病院に駆けつけた際は「4月下旬で虫の息で、みんなで枕元で家族も含めて一度あきらめました。その後、奇跡の回復をみせてくれました。6月20日にお会いして、酸素マスクをつけたままでも顔色も良く、会話もきちんとできて、リハビリのまねもしてくれて。『歌丸師匠の代わりに公演に行ってきますよ』と言ったら『悪いね、ずいぶん借りを作って』と言ってくれて、『返してくれるんでしょうね』と。貸したままになった」と振り返った。

 「貸しよりもいただいたものの方が多い。二人会をやった数は一番。うちの師匠が亡き後、本当に守ってくれたのは歌丸師匠だった。プライベートでも歌丸旅行会に誘ってくれました。50年近くお付き合いさせていただいて、うちの師匠よりも長くなっちゃった。大喜利をうまくできるようになったのも、落語界の中に身をおいて、バックボーンになってくれたのも歌丸師匠。みんな歌丸師匠のおかげ」と感謝。「1つ目標となる星がまた天に上ってしまった。いなくなったといって、これから自分がだんだんと(歌丸師匠の)年に近づいていくに従って、寂しさは増してくると思う。歌丸師匠は僕の思い出の中に生きてくれますし、これからも思い出を忘れずに、歌丸師匠と心のなかで一緒に生きていきたい。ありがとうございましたの一言しか言えません」と目を潤ませた。

 歌丸さんから司会を引き継いた昇太は「正直、嫌だった。歌丸師匠は一番初めからいて、回答者をずっとやっていて、それまでの司会者を全部見ていて、司会者になった。その後でやるのが本当に嫌だった」と司会を託された時の心境を吐露。それでも「昇太さん、好きにやりなさいと言っていただいて、その言葉がありがたかった」としみじみ。「まったく実感は湧いていないです。本当に楽屋でもひょこっと顔を出すような。これから歌丸師匠が亡くなられたということをこれから感じるんだろうなと思います」とかみ締めた。

 小遊三は「本当に背中を追いきれなかった。『笑点』に入って、一緒にというよりも、ずっと下から観察していたが、まねはできませんでした。完璧でしたから。大喜利も、落語も、滑稽話も、新作落語も古典落語も、最後は圓朝もの、これも完璧でした。よくあれだけの病を抱えて、あれだけできるなと驚嘆でした」。三遊亭好楽(71)も「この楽屋にいる感じがして、亡くなったという感じがしないんです」ももらし、「高座の鬼、芸のお位、お疲れ様でしたしか言えない。本当に長い間、ありがとうございました」と感謝した。

 林家たい平(53)は「『もう笑点』の収録で時々いらっしゃることがあったので、また来月になると歌丸師匠がいらっしゃるような、どう考えても、歌丸師匠が亡くなったことが現実として信じられない」とぼう然。「大喜利をやっても、最後に歌丸師匠が出てくるんじゃないかかというぐらい、まだ歌丸師匠が亡くなったということがどうしても受け入れることができない。今の正直な印象です」と続けた。

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2018年7月7日のニュース