さよなら高畑勲さん 宮崎監督9分間涙の弔辞「55年前、あのバス停で…忘れない」

[ 2018年5月16日 05:30 ]

高畑勲さんのお別れの会で、涙ながらに弔辞を読む宮崎駿監督。後方は鈴木敏夫プロデューサー
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 4月5日に肺がんのため82歳で亡くなったアニメーション映画監督・高畑勲(たかはた・いさお)さんのお別れの会が15日、東京・三鷹の森ジブリ美術館で行われ、約3200人が参列した。東映動画(現東映アニメーション)、スタジオジブリで55年にわたり苦楽を共にした宮崎駿監督(77)が涙の弔辞。高畑監督の愛称「パクさん」と何度も呼び掛けた。

師であり、盟友であり、そしてライバルであった高畑監督との最後の別れ。宮崎監督は、約1カ月をかけて便箋にしたためた手向けの言葉を絞り出した。

 「パクさんは、95歳まで生きると思い込んでいた。そのパクさんが亡くなってしまった。自分も、あんまり時間がないんだなと思う」

 愛称「パクさん」について「朝が苦手な男で、東映動画に勤め始めた時もギリギリで駆け込み、買ってきたパンをパクパク食べていたからという噂です」と説明した。

 2人の出会いは1963年。「初めて言葉を交わした日のことを、今でもよく覚えている」と語り、「たそがれ時のバス停で、僕は練馬行きのバスを待っていた。雨上がりの水たまりが残る通りを、一人の青年が近づいてきた。穏やかで賢そうな青年の顔が目の前にあった。それがパクさんに出会った瞬間だった」と続けた。

 高畑監督の劇場映画デビュー作「太陽の王子 ホルスの大冒険」(68年)では作画を担当。製作に3年を要したが「パクさんの粘りは超人的だった。会社の偉い人に泣きつかれ、脅されてもよく踏ん張った」と称えた。2000年には高畑監督の発案で「ホルスの大冒険」の関係者による“同窓会”を開催。「偉い人たちが“あの頃が一番面白かったなあ”と言ってくれた。パクさん、僕らは精いっぱい、あの時を生きていたんだ。膝を折らなかったパクさんの姿勢は、僕らのものだったんだ」と天を仰いだ。

 悲しみの深さからか笑顔の遺影に目を向けることもなく、何度も声を詰まらせ、眼鏡をずらし涙を拭った。「55年前、あのバス停で声を掛けてくれたパクさんのことを忘れない。ありがとう、パクさん」と感謝し、9分余りの弔辞を締めくくった。

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