45年前の衝撃

[ 2018年4月20日 07:46 ]

笑顔でキャッチボールする大谷
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 【我満晴朗のこう見えても新人類】オオタニサンの大活躍を報じるニュースに目を通していた4月9日。スポニチアネックスに掲載された記事の一部に不意を打たれた。

 「ロサンゼルス・タイムズ紙(電子版)によると、同一シーズンで出場3試合連続本塁打と2桁奪三振を記録した選手は過去にケン・ブレット(1973年)とベーブ・ルース(1921年)だけで、大谷が史上3人目だという」

 ケン・ブレット!! そんなすごい選手だったんのか…。

 あのジョージ・ブレットの実兄だ。1981年の日米野球にロイヤルズの一員として来日したサウスポー。後に殿堂入りする弟とともにプレーしたことになる。3試合に登板し防御率0・00。「ケン兄ちゃん」として筆者の記憶の隅っこに残っている。

 MLB14年間で83勝85敗だから、特に際立った成績ではない。その一方で打撃が得意だったとはつゆ知らずだった。気になってネット検索をかけたら、MLB公式サイトに長文の特集を発見。ジョー・ポスナンスキー記者が彼の野球人生をつづっている。

 タイトルは「オオタニ以前にケン・ブレットありき」。投手と中堅手を兼ねていた高校時代、スカウトからは打者としての評価が高かったという。だが17歳で入団したレッドソックスでは、主砲カール・ヤストレムスキーの進言により投手に専念。以降、計10球団を渡り歩く「ジャーニーマン」としても有名となる。

 球史に名を刻むのはフィリーズ時代の1973年。6月9日のパドレス戦で先発し、7回3分の1を1失点と好投したばかりか、1―1で迎えた5回に勝ち越し本塁打を放つ。13日はドジャース相手に3失点完投勝ちし、5回にまたも本塁打を記録。18日もメッツに完投勝ち&本塁打。続く23日の対エクスポズ戦に先発登板し、7回にアーチをかけている。

 なんと、3戦連発だけではなかった。投手としての出場4試合連続ホーマーは現在も破られていないメジャー記録だ。

 話はここで終わらない。実は4試合連続本塁打のスタートとなったパドレス戦の直前登板、つまり3日のジャイアンツ戦でも右中間フェンスオーバーの大飛球を放っている。だが打球を見失った二塁塁審は「エンタイトル2ベース」を宣告。この誤審がなければ「出場5試合連発」だった! 恐るべき「二刀流」ではないか。

 ポナンスキー記者は彼の4連発を、あのベーブ・ルースでさえ届かなかった快記録と指摘しつつ「いつの日かオオタニがやってのけるだろう」とも書いている。記事の掲載日は開幕前の3月22日。執筆者の眼力も恐るべしだ。

 そのケン兄ちゃんは2003年、55歳の若さで亡くなった。オオタニサンについてのコメントを取れないのは残念だけど、背番号17の勇姿は天上からにこやかに見詰めているに違いない。(専門委員)

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2018年4月20日のニュース