堺雅人「真田丸」上田編と大坂編の違い「真田劇団はすぐ解散」

[ 2016年8月6日 08:10 ]

出会った時の秀吉(小日向文世)&信繁(堺雅人)と、晩年の秀吉&信繁(下)(C)NHK
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 俳優の堺雅人(42)が主演を務めるNHK大河ドラマ「真田丸」(日曜後8・00)は7日放送の第31話「終焉」で一区切り。豊臣家の栄枯盛衰が描かれ、豊臣秀吉役の小日向文世(62)豊臣秀次役の新納慎也(41)北条氏政役の高嶋政伸(49)らの熱演が話題を呼んだ。堺が「大坂編」を振り返り、総括した。

 ドラマ全体を春夏秋冬に例えると、第13話までの「上田編」が「春」。「夏」に当たる「大坂編」がフィナーレを迎えようとしている。

 天正13年(1585年)、真田が上田城で徳川の大軍を迎え撃った「第1次上田合戦」。真田勢は2000の兵ながら、7000の兵を擁した徳川勢に圧勝した。一方、本能寺の変の後、織田家中を掌握した豊臣秀吉(小日向)は各地の大名に忠誠を誓うよう、上洛を求めた。真田信繁(堺)は、上洛を決めた上杉景勝(遠藤憲一)から「見聞を広めるまたとない機会」と旅のお供を勧められ、大坂に赴く。

 秀吉に気に入られた信繁は馬廻衆に加わることを命じられる。石田三成(山本耕史)大谷吉継(片岡愛之助)茶々(竹内結子)らとの出会いを通じ、信繁は成長を遂げる。秀吉は天正18年(1590年)、北条を滅ぼし、全国を統一。天正19年(1591年)、関白の座を甥・秀次(新納)に譲り、太閤と呼ばれるように。信繁は関白付きとなり、文禄3年(1594年)には兄・信幸(大泉洋)とともに京の聚楽第で官位を与えられた。信幸は従五位下伊豆守、信繁は従五位下左衛門佐となった。

 天正19年に息子・鶴松を2歳で亡くした秀吉に、文禄2年(1593年)再び男児(後の秀頼)が誕生した。文禄4年(1595年)、居場所を失った秀次は関白の座を放棄。聚楽第から失踪し、高野山へ。秀吉との間の誤解が解けぬまま自身を追い込み、自害。そして、秀吉には確実に老いが忍び寄る…。

 「大坂編」は秀吉役の小日向を中心とした座組に変わり、小日向をはじめ、寧(北政所)役の鈴木京香(48)茶々(淀)役の竹内結子(36)豊臣家家臣・平野長泰役の近藤芳正(54)同・片桐且元役の小林隆(56)ら脚本・三谷幸喜氏(55)作品の常連が登場した。

 「上田編」との違いについて、堺は「現場の雰囲気もガラリと変わりましたよね。真田(ファミリー)は、いい意味でバラバラ。演技のトーンも皆さん、特に合わせませんし。大坂は三谷組の常連の方がいらっしゃったので、割と色が統一されていた気がするんです。劇団のカンパニーとしては凄くまとまっている。大坂に行って、あらためて真田がバラバラだったんだということがよく分かりました。真田は僕も含めて色が全然違いますし、ゴツゴツした感じでいった方がおもしろいんじゃないかというのが、全員にあったと思います。そういう意味で、大坂編はみんな、三谷さんの勘どころが分かっていて、システマティック(組織的に)に息を合わせる感じがしました」と説明。

 堺自身も劇団「東京オレンジ」出身だが「劇団としては“大坂城劇団”の方が長続きしますね。真田は4回ぐらいの公演で解散するような、すぐ潰れる劇団」とジョークを飛ばした。

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2016年8月6日のニュース