俳号「巨泉」を芸名に 故寺山修司氏と才能の差痛感し、句作やめる

[ 2016年7月21日 06:55 ]

大橋巨泉さん死去

 知性の原点は中学生で始めた俳句。ファンだった巨人軍の「巨」と、尽きないアイデアを表した「泉」を組み合わせた俳号を高校のときに使い始め、のち芸名になった。

 早大進学後は俳句研究会に所属。著名な俳人だった加藤楸邨(しゅうそん)氏が主宰し、中曽根康弘元首相も投句した俳誌「寒雷」にも参加。故永六輔さんが俳句を始めた際の師匠でもあった。

 しかし大学3年のとき、後輩として入学してきた歌人で劇作家の故寺山修司氏が運命を変える。新入生歓迎句会で寺山氏が発表した「黒人霊歌桶にぽっかりもみ殻浮き」という句に「言葉遣いの新鮮さが全然違った」と才能の差を痛感。以後、一切の句作をやめた。

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2016年7月21日のニュース