宝塚現役最年長・春日野八千代さん 肺炎で死去、96歳

[ 2012年8月30日 06:00 ]

死去した春日野八千代さん

 宝塚歌劇の男役スターとして戦前戦後を通じ熱烈な人気を集め、「白ばらのプリンス」と呼ばれた“宝塚の至宝”で専科の春日野八千代(かすがの・やちよ、本名・石井吉子=いしい・よしこ)さんが29日午前10時34分、肺炎のため大阪市内の病院で死去した。96歳。神戸市出身。葬儀・告別式は近親者のみで行い、後日「歌劇団葬」を兵庫県宝塚市の宝塚バウホールで行う。日程は未定。

 関係者によると、春日野さんは宝塚市内の自宅で、約1年前から酸素吸入ボンベを携帯する生活を送っていたが今年3月ごろまでは元気だった。その後、体調を崩して入退院を繰り返し、7月の入院時には意識があまりない状態だったという。

 1928年4月、宝塚音楽歌劇学校(現宝塚音楽学校)に入学。翌29年に「春のをどり」の娘役で初舞台を踏み、代役を務めたのをきっかけに32年、男役に転じた。

 以後、「虞美人」(51年)の項羽、「源氏物語」(52年)の光源氏などの大役を次々とこなし、故天津乙女さんとともに男役のトップスターとして宝塚人気を支えた。戦時中に宝塚大劇場が閉鎖された際、最後の公演「翼の決戦」(44年)に主演。劇場から最寄り駅までファンが約1キロの長蛇の列を作り、警官が出動する騒ぎになったことも。戦後すぐの故乙羽信子さんとの共演はゴールデンコンビと呼ばれ、圧倒的支持を受けた。

 2004年の花組公演「飛翔無限」まで定期公演に出演。その後も08年まで「宝塚舞踊会」に出るなど生涯現役を貫いた。最後に公の場に姿を見せたのは宝塚歌劇95周年記念「百年への道」(09年)のトークコーナー。「白ばらのプリンスと呼ばれていらっしゃったんですね」と花束を手渡され「もうバラバラよ」と軽妙な返しで笑いをとるなど元気なところを見せていた。

 小林公一宝塚歌劇団理事長は「宝塚歌劇の長い歴史におけるきわめて偉大なスターであり、精神的支柱ともいえる方を失い大きな喪失感を覚えています。来る14年の宝塚歌劇100周年の際にはもう一度舞台に立っていただき、ともに100周年を祝えるものと思っていただけに非常に残念。心からご冥福をお祈りいたします」と悼んだ。

 ▼八千草薫(47年宝塚入団、「源氏物語」「ワルシャワの恋の物語」などで共演)気品のある美しいたたずまいは宝塚そのもので、いつまでも歌劇団にいていただけるものと勝手に思っていました。

 ▼寿美花代(48年宝塚入団)とても美しく、品のある憧れの上級生でした。春日野さんの初演出だった「光明皇后」(58年)では、男役だった私に「あなたに相手役をやってほしい」というありがたいお言葉をいただき、娘役に挑戦させていただきました。私にとって、神様のような存在でした。

 ▼鳳蘭(64年宝塚入団)春日野先生はわたしたちの教科書でした。誰にも分け隔てなく愛情を注いでくださいました。これからも私たち妹の心の中で永遠に生き続けていくでしょう。

 ◆春日野 八千代(かすがの・やちよ、本名石井吉子=いしい・よしこ)。1915年(大4)11月12日、兵庫県生まれ。体を丈夫にするため父親の勧めで宝塚音楽歌劇学校へ。1メートル61の長身と色気で男役として活躍、入団5年目の33年には春日野をトップに据えるため星組が新設された。戦後の公演再開時には雪組組長。50年からは専科所属に。49年に歌劇団理事、06年6月から同名誉理事。日舞の名取名は「花柳禄八千代」。79年に紫綬褒章、86年に勲四等宝冠章を受章。00年には宝塚市名誉市民第1号に。

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