2・2から勘九郎襲名興行 中村勘太郎「白」で輝く

[ 2012年1月29日 09:12 ]

凛々しい表情を見せる中村勘太郎

 中村勘太郎(30)が六代目中村勘九郎を襲名する披露興行が来月2日、東京の新橋演舞場で幕を開ける。父の中村勘三郎(56)が46年間名乗り、一代で大きくした名跡。相当なプレッシャーを感じながらも、「勘九郎の名前に新風を吹き込みたい」と攻めの構えを見せる。俳優として転換期を迎え、“歌舞伎界一の好青年”は何を思っているのだろうか。

 「“太”が“九”になるだけですから。友達にも“勘ちゃん”と呼ばれてるので、そんなに変わらないんじゃないかなあ」

 冗談交じりに話すものの、襲名は歌舞伎俳優人生で一度あるかないかの大舞台。これまで、ニューヨーク公演(07年7月)、初主演映画「ZEN」の撮影(08年4月)、女優前田愛(28)との結婚披露宴(09年10月)など、節目節目を見てきたが、さすがに今回は気合の入り方が違う。温和な顔が引き締まり、眼光も鋭くなっている。

 「中村勘九郎」は1690年ごろから受け継がれる名跡。先代の勘九郎(現勘三郎)は強烈な印象を残した。「皆さん“勘九郎”の横には父の姿が見えるんじゃないかな。僕もそうです。追いつけるのか、追いつけないのか、そこを突き詰めていくのが僕の仕事」。人気役者の息子に生まれた運命を受け入れる覚悟はできている。

 「ボーッとしてる方だから」と平気な顔をしているが、襲名興行までの道のりは平たんではなかった。昨年1月、一番頼りたかった父・勘三郎が「突発性難聴」を発症し、半年間休業。「“襲名興行に出られないかもしれない”とずっと言っていて、不安でしたね。聞きたいことは山ほどあったのに。いまは回復して、80%の状態まで戻ってると思います」と安どの表情。「中村勘九郎」と書かれた2月公演の台本が今月18日に届き、これを見せに行くと「“おお本当だ!”と大喜びしてくれた」という。

 もう1人の大きな支えだった祖父で人間国宝の中村芝翫さん(享年83)は昨年10月に死去。「一緒に襲名興行の舞台に立ちたかった」。この時ばかりは表情を曇らせた。

 今月4日から、ごひいき筋へのあいさつ回りに明け暮れている。多い日は1日10軒以上。これまで東京を中心に名古屋、京都、大阪と約200カ所を訪れた。

 勘太郎以上に多忙なのが妻の前田だ。来月22日で1歳になる長男・七緒八(なおや)くんの世話をしながら、夫のためにあいさつ回りを行っている。「結婚したときは襲名の話など出てもいなかったから、“こんなはずじゃ”なんて思ってるんじゃないですか」と内助の功を気遣った。

 家族の支えだけではなく、2月公演には中村吉右衛門(67)、片岡仁左衛門(67)、坂東三津五郎(56)ら幹部俳優が顔をそろえる。大先輩たちに囲まれ、六代目勘九郎として、どんな色で輝こうとしているのか。

 「白でいたい。すぐに何色にも染まれ、すぐに色が抜ける白。白でいれば、どんな役者さんの横にもしっかりと立っていられる」と、自分に言い聞かせるように話した。

 白は、勘太郎が勘九郎襲名の記念撮影のバックに選んだ東京スカイツリーの鉄骨の色。「スカイツリーが電波を発信するように、僕も勘九郎としていろいろ発信していきたい。お客さまを集めるには、常に魅力的な存在でいないといけない」。5月22日の開業後、観光客が大挙して訪れる世界一高いタワーに、集客力で負けたくはない。スカイツリーのような存在感で舞台にそびえ立つ意気込みだ。

 最後に「これまで勘太郎に出会ってくれた人たち、育ててくれた人たち、愛してくれた人たちに、この紙面を通じてお礼を言わせてください」と身を乗り出し「勘九郎襲名という僕の第2章の始まりの前にね」と続けた。いたずらっぽい笑顔は、まだ“好青年”勘太郎そのものだった。

 ◆中村 勘太郎(なかむら・かんたろう)本名波野雅行。1981年(昭56)10月31日、東京都生まれの30歳。87年1月、二代目中村勘太郎を名乗り歌舞伎座で初舞台。10年には舞台版「おくりびと」に主演。弟は歌舞伎俳優の中村七之助。1メートル74。血液型O。

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