坂上二郎さん天国へ 欽ちゃん「俺を独りにして…」

[ 2011年3月11日 06:00 ]

亡くなったタレントの坂上二郎さん

 お笑いコンビ「コント55号」で国民的人気を集めたコメディアンで俳優の坂上二郎(さかがみ・じろう)さんが10日午前9時40分、脳梗塞のため栃木県内の病院で死去した。76歳。鹿児島市出身。通夜・告別式は行わず、近親者のみで家族葬を行う。03年にも脳梗塞で倒れ、栃木県に移り住んでいた。40年以上にわたってコンビを組んだ萩本欽一(69)は「俺を独りにして…二郎さんのバカ」と話して相方の死を惜しんだ。

 二郎さんは03年9月、ゴルフのプレー中に脳梗塞を発症し、約2カ月入院。左半身に麻痺(まひ)を残しながら、04年6月に舞台復帰した。

 06年に都内から、環境のいい栃木県那須塩原市に引っ越した。リハビリと仕事を並行していたが、昨年8月13日に自宅のキッチンで再び倒れた。右半身も不自由になり、ほぼ全身の自由が利かなくなる中、介護を受けながら入院を続けていた。

 関係者によると、10日午前6時ごろ、看護師が見回った際は普段と変わらない様子だった。同9時ごろ体調が急変。遺体と対面した関係者は「穏やかなお顔でした。元気だと聞いていたので本当に驚いた。舞台復帰に意欲満々だったのに…」と悔やんだ。

 出演予定だった今年1月の東京・明治座公演は断念。09年9月、下町をテーマにした「したまちコメディ映画祭in台東」のクロージングセレモニーに出席し、コメディ栄誉賞を受賞したのが萩本と公の場での最後のツーショットになった。

 萩本は仕事先の富山で悲報に接した。午後7時ごろ空路帰京し、羽田空港内で会見。昨年12月に見舞いに行ったのが最後で「(持ちギャグの)飛びます、飛びます、できる?」と聞くと、二郎さんが「飛べませ~ん、飛べませ~ん」とギャグで返したので「大丈夫だ」と思ったという。帰ろうとすると呼び止められ、握手したそうで「今思えば、さよならの握手だった」と振り返った。

 二郎さんが「安藤ロール」の芸名で1人で活動していた66年、浅草の劇場で知り合いコンビ結成。漫才とは違う、テレビカメラが追いつかないほど動き回るコントで、お笑い界に新風を注いだ。コンビ名は王貞治・現ソフトバンク球団会長の本塁打新記録55本(64年)にあやかったなど諸説ある。

 一番の思い出は何度か出演したNHK紅白歌合戦。ある年、45秒の持ち時間で1分半のコントをした。「“怒られるからやめようよ”って止めたら“笑いなしでは55号は去れない”と言われた」というエピソードを披露。寂しげに「僕の宝が懐から去っていった」「コント55号の幕は閉まりました。二郎さんが天国へ持って行きました。心の中では不滅ですけど」としんみり。「テレビの前では泣かない。二郎さんは僕だけのもの。帰ってから独りで泣きます」と涙をこらえた。

 近く二郎さんの遺体と対面する予定。かける言葉を聞かれ「さよならを言いたくない人。ありがとうしかないよ。凄く楽しいお笑い人生が、二郎さんのおかげで送れました。坂上二郎を忘れません」と声を震わせた。

 サービス精神が強いことで知られる萩本だが「悲しみがこみあげて来るので、これぐらいで」と約30分で自ら会見を締めた。その姿がショックの大きさを物語っていた。

 ◇二郎さんの生涯◇ 二郎さんは1934年(昭9)4月16日、鹿児島市生まれ。中学卒業後、同市内の百貨店に勤務。53年にNHK「のど自慢」で優勝したのを機に歌手を目指し上京。青木光一(85)の付き人をするうち歌謡ショーで漫才や司会を担当していた。66年にコント55号を結成。69年に始まった「コント55号!裏番組をブッ飛ばせ!!」では、じゃんけんで負けると服を脱ぐ「野球拳」で人気を集めた。70年代からは俳優としても活躍。クイズ番組「ぴったしカン・カン」にも長く出演。プライベートでは58年に結婚。娘の亜樹は80年代に女優として活動し、ドラマ「スクール☆ウォーズ」に出演した。

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