上方漫才のベテラン 喜味こいしさんが死去 

[ 2011年1月23日 19:12 ]

 しゃべくり漫才の第一人者として「夢路いとし・喜味こいし」の兄弟コンビで親しまれた漫才師の喜味こいし(きみ・こいし、本名篠原勲=しのはら・いさお)さんが23日午後1時38分、肺がんのため大阪市北区の病院で死去した。83歳。埼玉県出身。葬儀・告別式は27日午前11時半から大阪市阿倍野区阿倍野筋4の19の115、大阪市立葬祭場やすらぎ天空館で。喪主は長男敏昭(としあき)氏。

 1940年、2歳上のいとしさんと少年漫才師「荒川芳博・芳坊」としてデビュー。45年に広島で被爆するが一命を取り留めた。戦後、漫才作家の秋田実さんと出会い、若手漫才集団「MZ研進会」を結成。48年にコンビ名を「夢路いとし・喜味こいし」に変えた。

 兄のとぼけた味と絶妙に調和するしゃべくり漫才の芸を磨き、半世紀以上にわたって上方漫才界を代表するコンビとして活躍、「いとこいさん」の愛称で人気を集めた。

 落語家の桂米朝さんらとジャンルを超えて芸を語り合うグループ「上方風流」をつくった。視聴者参加番組「がっちり買いまショウ」の司会で人気を得たほか、ミヤコ蝶々さんの芝居の常連となり、喜劇役者としても評価された。

 93年に兄弟で紫綬褒章。99年、漫才では初めて大阪市が無形文化財に指定。菊池寛賞や上方漫才大賞も受けた。2003年9月にいとしさんが死去して以降は、上方演芸界の“ご意見番”として存在感をみせ、講演では戦争体験などを語った。

 ▼漫才師の西川きよし 漫才界の宝が亡くなり、とても悲しい。若いころ、漫才番組の収録で「やすしきよしにトリを交代してくれるか」と言われたときに、やっと漫才師として認めていただけたとうれしかったことを思い出す。尊敬とひと言で言ってしまうのがもったいないくらい、心の広い方でした。

 ▼落語家桂米朝 漫才に品がありましたな。一切お客さんをいらわず(いじらず)、呼称は常に「きみ」と「僕」。決して「おまえ」「どついたろか」といったどぎつい言葉は使いません。こいしさんは二つ年下やが、芸歴は私より古い。昔の芸界の様子を実によう知ってはりました。彼と古い話をしだすと、もう止まりません。ホンマに寂しい限りです。

 ▼タレント浜村淳 穏やかな兄いとしさんと、やんちゃな弟こいしさんのキャラクターの違いを生かした漫才は絶品だった。派手さはなく、日常に起こり得ることを話しているのに、名人芸ともいえる話術と間の取り方にかかると、大爆笑が湧き起こった。ギラギラした漫才や話芸が多数を占める中で、品のある語り口のこいしさんが亡くなったことは非常に寂しい。

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