頼近さんを悼む 激動の人生聴いてみたかった

[ 2009年5月20日 06:44 ]

 NHKの女性アナウンサーが、まだ地味な存在だった時代に、華やかな雰囲気を持ち、かつ得意の英語力を駆使して存在感のある仕事をしたアナだった。

 フジテレビに移籍してからは、誰もがうらやむような人生を歩んでいるように見えた。昼のニュースキャスターを担当。視聴率アップに貢献したかと思うと突然、フジサンケイグループの若き総帥、鹿内春雄副社長夫人となり、まるでドラマの主人公のような、まぶしい歩みを続けていた。
 ところが、フジサンケイグループ会議議長となった春雄氏の肝臓病による急死。春雄氏との間には2人の子供に恵まれたものの、一転して複雑な鹿内家の事情の中で、子供たちも鹿内家を継ぐことなく、春雄氏が残した東京・田園調布の豪邸でひっそりとした生活が始まる。数カ月後、放送記者として頼近さんにインタビューを試みようと田園調布を訪ねたことがあった。本人が不在だったため、依頼の置き手紙をポストに残したところ、数日後、「今はそっとしておいてほしい」と本人直筆のはがきが届き、彼女の丁寧で優しい人柄に触れた気がした。
 子供たちが大きくなるにつれて、音楽プロデューサーとしての仕事を開始。1996年にはNHK大河ドラマ「秀吉」にお市の方役で出演、女優デビューを果たした。ベテラン俳優の中にあって、演技には苦労していたが、収録打ち上げのパーティーでは「皆さんのおかげで、貴重な体験をさせてもらいました」と感激の涙を流しながらにあいさつした姿が忘れられない。できることなら、激動の人生をじっくり聴いてみたかった。
 (マルチメディア事業本部次長、元放送担当記者・島倉 健治)

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2009年5月20日のニュース