美人女子アナの草分け…頼近美津子さん死去

[ 2009年5月20日 06:00 ]

今年4月10日、雑誌で対談した頼近美津子さん

 美人アナウンサーの草分けとされ、NHKやフジテレビで活躍した頼近美津子(よりちか・みつこ、本名鹿内キャサリーン美津子=しかない・きゃさりーん・みつこ)さんが17日午後1時46分、心不全のため千葉県柏市の病院で死去した。53歳。広島県出身。食道がんで2年前から闘病していた。84年にはフジテレビの鹿内春雄副社長(当時)と結婚、玉の輿(こし)婚で大きな話題を呼んだ。

 女子アナがタレント並みに注目を集める中、その“元祖”ともいえる頼近さんが静かに天国に旅立った。喪主の長男・鹿内雅雄(しかない・まさお)氏(24)ら遺族の意向で、19日に葬儀を近親者で済ませた後、所属の制作会社テレビマンユニオンが公表した。
 関係者によると、2年前に人間ドックで食道がんが見つかった。頼近さんは「声の仕事は守っていきたい」と手術をせずに抗がん剤投与による治療を選択。一時は回復をみせて適度に仕事もこなしていたが、4月13日に体調を崩して入院。肺炎を併発して、帰らぬ人となった。
 最後の仕事は音楽雑誌「ムジカノーヴァ」(音楽之友社)誌上に7年前から続ける連載コラム「音楽教育etc.トーク」で、ピアノ講師の岩瀬洋子、田村智子両氏を相手にした対談。4月10日に都内で行われ、雑誌はくしくもきょう20日に発売される。
 父が日系米国人二世で「キャサリーン」というミドルネームを持つ頼近さんは、東京外国語大学を卒業して78年にNHKに入局。バラエティー番組「テレビファソラシド」で永六輔氏(76)と司会を務め、華やかな雰囲気で一躍お茶の間の人気者になった。25歳になった81年には、3000万円ともいわれた移籍金でフジテレビに移り、「小川宏ショー」などに出演した。
 84年にはフジサンケイグループの創始者、鹿内信隆氏(90年に78歳で死去)の長男で、当時副社長だった春雄氏に見初められて電撃結婚。同年フジを退社、家庭に入り、2人の男の子にも恵まれて幸せな日々を送ったが、88年に春雄氏が肝炎のため43歳という若さで急逝。失意のうちに2児を伴って渡米した時期もあった。
 帰国後の93年にNHKの番組「名曲音楽館」の司会者で古巣に復帰。96年には竹中直人(53)が主演した大河ドラマ「秀吉」にお市の方役で女優デビューも果たした。また同年から05年まで天才バイオリニストの成長を追ったフジのドキュメント「五嶋龍のオデッセイ」でも活躍した。
 幼少からピアノとチェロを親しんだこともあり、クラシックコンサートの企画や司会にも携わった。テレビマンユニオンは後日、お別れの会を「音楽葬」形式で開く予定だ。

 ◆頼近 美津子(よりちか・みつこ)本名鹿内キャサリーン美津子(しかない・きゃさりーん・みつこ)1955年(昭30)8月1日、広島県安芸郡府中町生まれ。78年NHK入局。田丸美寿々らとともに美人女子アナウンサーの走りといわれ、「TVガイド」の表紙を飾ったことも。81年フジテレビに移籍。84年の結婚とともに退社した。

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2009年5月20日のニュース