猿之助の妻…日本舞踊家元・藤間紫さん逝く

[ 2009年3月28日 06:00 ]

27日に亡くなった日本舞踊紫派藤間流家元で女優の藤間紫

 日本舞踊紫派藤間流家元で女優の藤間紫(ふじま・むらさき、本名喜熨斗綾子=きのし・あやこ)さんが27日午後5時26分、肝硬変による肝不全のため東京都文京区の日本医科大学付属病院で死去した。85歳。東京都出身。夫で歌舞伎俳優の市川猿之助(69)にみとられ息を引き取った。

 「澤瀉屋(おもだかや)」の俳優陣を支えてきた“母親”が逝った。関係者によると、猿之助は気丈に振る舞っていたというが「時折、白い布団がかけられた藤間さんの体をさすり、本当に悲しそうな表情を見せることもあった」という。
 傍らでは市川春猿(38)、市川笑三郎(38)、市川弘太郎(25)らが立ちすくんでいた。猿之助の一番弟子で夫妻に息子のようにかわいがられていた市川右近(45)は、仕事のため最期をみとることはできなかった。
 藤間さんは今年1月12日、銀座のホテルで行われた「紫派藤間流」の新年会に出席。「着物姿でピシッと元気な様子だった」(関係者)という。2月中旬に体調を崩して入院。3月15日には、東京・赤坂にある一門の稽古場で行われた紫派藤間流の名取式にも病院から駆けつけるなど、一時は体力も回復。ただ高齢だったこともあり、その後、再び病状が悪化していた。
 7歳で日本舞踊を始め、天才少女と言われた。日舞藤間流六代目宗家藤間勘十郎(後の勘祖)さんにあこがれて内弟子となり、1944年に結婚。1960年ごろから猿之助の公演活動を支え始め、国際的な歌舞伎普及に尽力。83年にはイタリア・ボローニャ市文化功労章を受章。85年には同名誉市民にもなった。このころ離婚し、猿之助の実質的なパートナーとして生活を共にしていたが、正式な結婚は00年。03年11月には猿之助が脳梗塞(こうそく)に倒れたが、自身の舞台出演と並行し、リハビリを支えた。
 昨年3月にはテレビ朝日「徹子の部屋」に出演し、自身も07年10月に食道静脈りゅうの手術を受けていたことを告白。「夫が毎日見舞いに来てくれて申し訳なかった」などと笑顔で話していた。

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2009年3月28日のニュース