「ザ・テンプターズ」でGSブーム大口広司さん死去

[ 2009年1月27日 06:00 ]

「ザ・テンプターズ」時代の大口広司さん(中央上)

 1960年代にGSブームを巻き起こしたバンド「ザ・テンプターズ」の元ドラムスで俳優の大口広司(本名大口廣司=おおぐち・ひろし)さんが25日午後10時20分、肝臓がんのため都内の病院で死去した。58歳。埼玉県出身。バンド解散後は俳優業を中心に活動していた。前妻で女優の真行寺君枝(49)は26日夜、取材に応じ、涙ながらに「めちゃくちゃな人でしたが、感性などで学んだものもあったと思います」と語った。

 友人によると、大口さんは数年前から肝臓の不調を訴え、約1年前の検診でがんを発見。昨年から入退院を繰り返していた。最期は06年に再婚した妻の以知子(いちこ)さん(54)らにみとられ、眠るように息を引き取ったという。入院中には真行寺と、その間の長男でミュージシャンの弦人も見舞いに訪れた。
 中学時代からの盟友の萩原健一(58)は「たくさんの思い出があります。凄くセンスのいいやつで優しい人だった。母性本能をくすぐるところがあって、女性にはもて続けたなあ」と悼んだ。
 大口さんは萩原らとテンプターズを結成して67年にデビュー。71年に解散し同年、萩原や沢田研二(60)らとスーパーバンド「PYG」を結成。翌72年に解散して以降は俳優業を中心に活動し、ライブ活動は続けていた。
 遺作は来月28日公開の映画「カフーを待ちわびて」(監督中井庸友)。医師の役で出演し、昨年4月に沖縄で撮影に臨んだ。
 私生活では83年、当時人気絶頂だった真行寺と交際約半年でスピード結婚。だが翌84年に大麻所持容疑で逮捕、起訴された。91年には経営していた服飾会社が倒産。97年には自身が撮影した真行寺のヘアヌード写真集「Made in Love」(ぶんか社)が発売され話題になった。だがその真行寺とも05年に離婚。事業失敗により、真行寺と翌06年に破産宣告を受けた。
 最近は映画「北の零年」(05年公開)や「日本沈没」(06年公開)、「ハブと拳骨」(昨年公開)などに出演していた。
 ◆大口 広司(おおぐち・ひろし)1950年(昭25)11月28日、埼玉県生まれ。67年10月に「忘れ得ぬ君」でデビューした「ザ・テンプターズ」でドラマーとして活躍。「神様お願い」「エメラルドの伝説」などがヒット。71年の解散後は沢田研二、岸部一徳らとバンド「PYG」を結成。PYG解散後は服飾デザイナーや俳優として活動。映画「日本沈没」(06年)などに出演。83年に女優の真行寺君枝と結婚。97年には妻のヌード写真集を撮影して話題になったが、05年に離婚。長男の大口弦人(げんと)はミュージシャン。

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2009年1月27日のニュース