小山内さん「筑紫さん、あまりにも早すぎます」

[ 2008年11月7日 19:57 ]

流行語生んだ名ジャーナリスト 筑紫哲也さん死去

 【筑紫哲也さんを悼む】

 ▼アナウンサー草野満代さんの話 あまりに突然の訃報にぼうぜんとしています。いつも穏やかで懐が深くて、どんなに違う意見にも耳を傾け、議論する。まさに「多事争論」そのものの方でした。私たちにとっては大きな木のような存在。スタッフみんなが筑紫さんを慕っていましたし、私も筑紫さんが大好きでした。もっと教えていただきたいことがたくさんあったのに、残念でなりません。

 ▼脚本家小山内美江子さんの話 昨年10月にお会いしたときは、お元気そうだったのに、とても残念。私が始めたボランティア団体「JHP・学校をつくる会」を支えてもらった。ジャーナリズムについての講義を聴いた若い人たちからも慕われていた。私が病気をしたときは「あなたがしっかりしなきゃ、活動が全部つぶれますよ」とことあるごとに励ましてくれた。お疲れさまと言いたいところだが、あまりにも早すぎます。

 ▼評論家の立花隆さんの話 筑紫哲也さんの全ジャーナリスト人生を聞くという一大プロジェクトを始めて、その途中でした。きょうにも電話しようと思っていた矢先なのでショックです。筑紫さんは戦後日本が生んだ最大のジャーナリストと言って過言ではないでしょう。新聞、雑誌、テレビとメディアをクロスして、かつ世界中に取材の足を伸ばしていた。政治、経済、社会、文化とあらゆる領域をカバーして、文字通り八面六臂の活躍をしてきた。その相当部分でほとんど戦友のような付き合い方をしてきた。とりわけロッキード事件、ロッキード裁判のころは文字通り机を並べて雑誌の仕事をした。何か問題が起きるとすぐに、筑紫さんならこれに何とコメントするだろうと今でも考える。惜しい人を亡くした。もっともっと筑紫さんのコメントを聞きたかった。

 ▼藤田真文法政大教授(マスコミュニケーション論)の話 元朝日新聞記者として培った、活字ジャーナリズムの視点を保ちながら、テレビのキャスターを務めたことが、画期的だった。「多事争論」など、新聞のコラム的な位置付けのコーナーを設けて、ストレートニュースとは別に、時事的問題について持論を展開したのが、顕著な特徴。筑紫さん個人の見方を明確に打ち出して、ニュースを解釈することで、固定的な視聴者を獲得し「筑紫哲也NEWS23」というタイトルがふさわしい番組だった。

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2008年11月7日のニュース