福留孝介氏が今も感謝する恩師 一人は「怒られた記憶はない」 もう一人は「不思議な縁を感じます」

[ 2026年5月9日 18:38 ]

福留孝介氏
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 中日阪神でプレーし、メジャーリーグでも活躍した福留孝介氏(49)が7日放送のニッポン放送「ショウアップナイター60周年 名球会ラジオ」(木曜後5・10)にゲスト出演。恩師二人に感謝した。

 進行役を務めた煙山光紀アナウンサー(63)から番組恒例の「私、この人に頭が上がりません」というテーマを振られた時だった。

 「お二人いるんですけれども…」とした福留氏。一人目は1998年ドラフト1位で中日に入団した時の監督、今は亡き“闘将”星野仙一さん(2018年に70歳で死去)だった。

 PL学園3年だった1995年ドラフトで7球団競合の末、近鉄から1位指名を受けた福留氏。入団を拒否して社会人野球の日本生命に入り、その後、逆指名で中日に入団した。

 「僕が社会人にいる間、スカウトの方が3年間ほぼ毎日ですね、必ず来てくださってて。僕のクジを外した日に3年後の1位は僕って星野さんがその場で言ったっていうのをスカウトの方から聞いていまして。それぐらいずっと思っていただいたっていうのがね…。本当にうれしかったっていうか、恐縮しました」

 日米通算2450安打&327本塁打。中日時代に2度の首位打者に輝き、WBC、五輪とも2度出場しているレジェンドだが、プロ1年目から132試合(当時は135試合制)に出場させてくれたのが星野監督だった。

 「第一印象は、僕の場合はユニホームを着てなかったので、星野さんが。ユニホームを着ている時の星野さんの印象と着てない時の星野さんの印象っていうのは結構違うものが。ユニホームの星野さんは怖かったですね。怖かったって言ったら語弊がある。迫力があった」と笑った福留氏。「怒られたことは?」という問いには「基本的に僕はあんまり怒られた記憶はないですが」と懐かしそうに回想した。

 二人目は、星野監督退任後の中日時代に打撃コーチとして指導を受けた佐々木恭介氏(76)。高3時のドラフトで福留氏のクジを引き当て「ヨッシャー!」と叫んだ元近鉄監督でもあった。

 「不思議な縁を感じますけれどもね…」としたが、思うように成績が上がらず、「自分のなかでもこれでいいのかなって迷いが多くなってた」時に就任したのが佐々木コーチだった。

 「まず第一声で“全て俺のいうことを信じろ”と。“俺のいうことを信じたら、俺がすぐに億円プレーヤーにしてやる”と。“その代わり、一言一句俺のいうことを信じてやってみろ”って言われて。そのタイミングが僕自身のなかでいろんなことを変えなきゃいけないなと思っているタイミングとちょうど同じだったんです。そこまで言われた。ドラフトでも縁があった。これはもう何かの縁なのかなって。僕も“この人のいうことを全て信じてみよう”と。それでダメだったらもう辞めればいい。この世界は実力の世界。そこでダメだったら辞める。その覚悟を持とうって思ったのが(佐々木氏との出会いという)きっかけでした」と福留氏。

 「その年に佐々木さんのいうことを全て聞いて、いろんなことをして。次の年に(初の)首位打者を獲ったんで。そこが本当に僕の野球人生のきっかけになった年でもありますから。本当にこの人のいうことを信じて良かったなと思えるところですね」と感謝していた。

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